日本はもう経済成長しないの原理

 
ある仮定の世界の話

そこには50人いて、みな同じくらい頑張って働いていた。
その世界の総生産は1000ゴールドであった。
(ゴールド:架空の世界通貨)

一人当たりの収益は、1000ゴールド/50人=20ゴールドということになる。

しかし、そのうち10人は少し強く少し頭が良かったので、皆にいろいろ教える代わりに、少し多めに貰うことになった。
そこで、残り40人は平均2ゴールドで生活出来るということで、収益も2となった。
つまり
1000ゴールド−40×2ゴールド=920ゴールド
となり、少し頭が良い10人の収益は
920ゴールド/10人=92ゴールド
となった。

つまりこの状態が第二次世界大戦直後の状態の様なものである。
日本は、この時点では、残りの40人のうちの一人であった。
現在も普通に行われている「人件費が安い国で物を作る」とは、こういう後進国の収益を先進国が奪い取る形なのだ。

さて、日本は欧米に忠実で、よく働いていた為、少し頭もよくなり、高度成長をした。
これを仮想世界で考えると・・・

40人のうち、ある一人がよく勉強して、よく働いた為、先進グループに入ることになった。
そうすると、残り39人となり
1000ゴールド−39×2ゴールド=922ゴールド
となり、先進グループの11人の収益は
922ゴールド/11人=約84ゴールド
となった。
先進グループの間では、多少の軋轢は出たものの、後から加わった一人が忠実でよく働くため、元からの10人はなんとか我慢できた。

これが日本の高度成長後の状態、つまり30年くらい前の状態である。
日本はこの後も経済成長を演出する為、借金をして国内に金をばらまき続け、見かけ上の経済成長と引き替えに借金は膨らんでいくことになる。
つまり、カード地獄にはまりながらブランド品を買うのと同じである。

さて、その後中国やインドなど多数の人口を抱える国が経済成長してきた。
中国のGDPが日本を上回ったとは言っても、人口比を考慮すると、一人当たりのGDPは日本の1/10程度である。
これを仮想世界で考えてみると・・・

残り39人のうち、徐々に頭の良くなった20人は、中堅グループとなり、10ゴールドの収益が必要となってきた。
そうなると、
残り19人の収益は、19×2ゴールド=38ゴールド
中堅グループは、20×10ゴールド=200ゴールド
となり、残った収益は、
1000ゴールド−38ゴールド−200ゴールド=762ゴールドとなり
先進グループの収益は
762ゴールド/11人=約69ゴールドとなる

先進グループは、まだまだ世界平均の20ゴールドより三倍以上の収益を得ている筈であるが、元々90ゴールド以上の収入があった為、生活もそれに合わせており、中には財政破綻をするものが出たり、架空の生産をでっちあげて収益を得たりするものが現れた。

これが現在の状態と言える。
ヨーロッパで財政破綻が始まったのも、アメリカがサブプライムローンの様な架空債権を発行しなければならなくなったのも、その為である。
日本がいくら借金をして、経済成長を演出してバブル化しようとしても、成長できなくなってきた理由でもある。

近未来であるこの先について更に考えてみよう。

中堅グループは更に少し頭が良くなり、世界平均の20ゴールドの収益が必要となった。
残り19人の中の10人が、少し頭の良い第二中堅グループとなり、10ゴールドの収益が必要となった。
そうなると
残り9人の収益は、2ゴールド×9人=18ゴールド
第二中堅グループの収益は、10ゴールド×10人=100ゴールド
中堅グループの収益は、20ゴールド×20人=400ゴールド
となり、残りは・・・
1000ゴールド−18ゴールド−100ゴールド−400ゴールド=482ゴールド
となり、先進グループ一人当たりの収益は
482ゴールド/11人=約44ゴールド
となる。
これでも、まだ先進グループは世界平均よりも2倍以上得ているのだが、元々の収益の半分しか得られなくなり、先進グループは大変な事態となる。

これがすぐそこの未来の話である。
つまり、これからのアメリカ、ヨーロッパ、日本の経済状態は加速度的に悪くなる。
日本が更に経済成長しようとして、借金を重ねれば、国家の財政は破綻することは目に見えている。

何故、こうなってしまったのか?
交通手段が発達し、グローバル化が進むということは、隔離されていた壁が取り払われるということである。
物理学では、エントロピー増大の法則というものがある。
直訳すれば、乱雑さが増大するということであり、つまり平均化してくるということである。
そしてそれは、物理学だけの世界の話では無い。

世界の壁が無くなり、グローバル化するということは、世界が平均化していくということである。
そして、人間の科学技術がいくら発展しても、世界の総生産量というものは変わらないものである。
世界にとって必要な生産とは、証券では無く、衣食住、特に食に関わるものだからだ。
そして、地球に当たる太陽からのエネルギー量は変わらない。
生産とは、簡単に言えば、太陽からのエネルギーを人間の衣食住に利用できる形にすることと、大まかに言える。
特に、食に関しては、それがほとんどである。

世界が平均化していき、先進グループの収益が減っていったとしても、世界平均の20を下回ることは無いであろう。
しかし、20の収入で、80の支出をしていては、破綻することは目に見えている。

世界の貧富の格差を無くし、グローバル化することは、私も良いことだと思う。
しかし、その為には、将来世界平均まで落ち込む経済に対する覚悟が必要である。
一方で地球は化石燃料燃焼により二酸化炭素増え、温暖化が進み、大地は砂漠化しているので、世界の総生産量は減少していく。 二酸化炭素の増加は、オゾン層を減らし、地球に降り注ぐ放射線の量も増やし、皮膚癌などの原因ともなっているので、真面目に取り組む必要がある。

日本は、経済的には高いレベルにあるが、成長は止まり、国内生産は空洞化し、失業者や低所得者が溢れ、将来に対する不安から婚姻率、出生率が低下し、民族絶滅に突き進んでおり、とても幸福な状態とは言えない。
お金や物を尺度とした幸福を追い求め続けるなら、この先日本人には不幸しか無い。

今こそ、世界平均にまで落ち込む経済状況を想定し、その中でお金とは別の価値観で幸福を追求していくことが重要である。



最後に、総生産量は変わらないとしてきたが、それは地球に当たる太陽エネルギーにのみ着目したからである。
もし、それ以外のエネルギーを生産に利用することが出来たなら、世界の総生産量は少し増え、現在の世界平均を押し上げることが出来るかもしれない。

石油や石炭、天然ガスは、過去の地球が太陽から得たエネルギーを貯蔵していただけなので、貯金が無くなる様に、いつか枯渇する。 利用率を向上させる努力をすれば、少し長く利用できる様になるだろうが、二酸化炭素の増加には歯止めがかからない。
原子力エネルギーは、太陽エネルギーによらない、太古に隕石が落下した時のエネルギーを貯蔵したものと言えるが、それもいつか枯渇する。 また、放射能は生物が感知することが出来ない。 それはつまり、3〜10億年の生物の進化において対応できなかったことを意味している。 従って、生物にとって、進化を加速させる要因でもあるが、永遠の毒と言っても過言では無い。 原発事故で身にしみているが、その様な毒を地上にまき散らすことは、人類の存続に危機をもたらすことになる。
太陽光発電は、人間が住む大地が得られるエネルギーを先取りしてしまおうというものである。 クリーンなエネルギーで、当面の利用は問題無いが、その影響はまだまだ未知の世界である。
しかし、もし、地球外の太陽光で発電したエネルギーを地上に送ることができれば、つまり人工衛星などで太陽光発電し、それをレーザーなどで地上に送ることができれば、無限のエネルギーを手にすることが出来るかもしれない。 しかし、少し遠い未来の話の様な気もする。
微生物を利用したバイオエネルギーは、光合成を利用するものであれば、地上における太陽光発電より少し効率が良いという程度の話である。
一番有望なのが、地熱発電と風力発電である。
地熱は地球内部の熱で、太陽が地球外の天体エネルギーとすれば、地熱は内部の天体エネルギーである。 恐らく、人類が生存している間は、問題無く利用することができるであろうし、クリーンエネルギーでもある。
風力は、その根元は地球の自転であり、太陽エネルギーと地熱エネルギーが天体単体のエネルギーだとすれば、二つの天体間相互作用によるエネルギーであり、地球上に大気がある限り、問題なく利用し続けることができ、クリーンなエネルギーと言える。

半世紀以上前、やはりエネルギーが決め手になると、原子力が利用されてきた。
エネルギーが決め手という考え方は悪く無いが、原子力の利用を考えたのは、その兵器利用、つまり戦争に利用することが想定されたために選択された。
つまり、人間は科学進歩に比べ、精神的にはほとんど進歩していないのである。
もういい加減、精神的に成長し、国家間、民族間、部族間、宗教間で対立する様なことは辞めて欲しいものだ。
そうで無ければ、先進国の経済が世界平均に落ち込む中、必ず戦争が起き、世界中が核の火の海となってしまうのでは無いだろうか・・・・
そして、それは、仮想世界の話でも分かる様に、そう遠く無い未来の話である。

まさに、願うばかりである。

野田が嫌い

 
私は北朝鮮が嫌いである。
拉致された人達の気持ちを思うと、本当に心が痛い。
旧日本帝国占領下での行いを思えば、お互い様と言われるかもしれない。
でも、これは気持ちの問題であって、嫌いなものを好きにはなれない。

しかし、野田は北朝鮮より嫌いである。

北朝鮮、今は金正恩体制であるが、恐らく日本を占領したいとは思っていても、滅亡させたいとは思わないであろう。

しかし、野田は、日本を滅亡させようとしている。

だから、私は、金正恩より野田が嫌いである。

野田が命がけでやろうとしていること・・・

・TPP
 ちょっと前まで円高で輸出企業が四苦八苦していたが、現在は円安で燃料費が上がり一般国民が四苦八苦している。
 この原因は何か?
 それは、円ドルの為替レートである。
 そしてそれは、アメリカの雇用統計や経済見通しによっている。
 更に、為替レートを左右しているのは、投資家と呼ばれる相場師(博打打ち)である。
 その博打打ちは、アメリカが中心となっている。
 この様に、市場経済はアメリカによる支配の為のツールなのである。
 長く共産主義を貫いた中国は、敵となる経済、つまり市場経済の欠点を十分に研究していた。
 従って、改革開放によって市場経済を受け入れても、人民元は為替相場にのせない。
 中国独自の強みを生かした賢い選択である。
 日本は、アメリカを中心とした連合軍と戦って負けた。
 そのことの善し悪しはともかく、アメリカ軍によって現在も守られており、占領時にアメリカ支配が続く様に義務づけられた。
 従って、アメリカの事実上の支配下にあり、市場経済を丸呑みし、アメリカの要求に応じなければならないことは仕方が無いのかもしれない。
 日本に出来ることは、その要求の実現をなるべく遅延させることぐらいしか出来ない。
 アメリカの一部業界には日本とのTPPを反対するものがいるというが、それはアメリカに敵意を向けさせないためのポーズであって、実際は強くTPPを勧めたいのである。
 当面は、牛肉やオレンジなどの農畜産物の売り込みの為であるが、最終的には日本を完全掌握させる為に・・・
 現在の円安は、「TPPを導入すれば、日本にもメリットがある」と誤魔化すため、そして「円安+原油高→燃料費の高騰→電気料金の値上げ→原発の推進」とするためと思われる。
 原油高を招いているのは、ホルムズ海峡の危機とマスコミは言っているが、それはある意味事実であるが、真実は危機感をあおることによって原油先物市場を高騰させている博打打ち連中の仕業である。
 そして、ホルムズ海峡の危機を増加させている当人はイランとアメリカであり、原油先物を高騰させる博打打ちもアメリカである。
 話は少し逸れてしまったが、野田がTPPを多少受け入れなければならないのは分かるが、積極的に取り入れようとしているのは、日本に対する破壊工作と言わざるを得ない。
 よく、農業の人たちには補助金を配布する・・・とか言っているが、そんなものは健康な経済状態とは到底言えない。
 また、日本の農作物の質が高いので高くても売れる・・・などというのは、完全な詐欺である。
 どの国でもいずれ質は向上するのである。
 それは、韓国や中国、インドの電化製品を見れば、よく分かる筈である。
 日本の高度経済成長の後半を担ってきた半導体は、現在は壊滅した。
 そして、質が同じになれば、後は価格勝負となり、その価格はアメリカの支配する為替相場によるのである。
 市場経済は悪く無いと僕も思うが、あくまで現物取引による市場経済に限るべきだと僕は思う。
 日本では昔から、先物取引の様な架空取引は、まともな人はやらない。 相場師という博打打ちの世界の話である。

・原発推進
 放射能の恐怖を本当の意味で伝えない。
 日本近海の魚は、遠からず食べられなくなるだろう。
 福島第一原発周辺は、事実上壊滅している。
 どんなに人が住むべきでは無い環境になっても、政府が「住めます」と言えば、東京電力は補償する必要が無くなるので、日々住める範囲が広がっている。
 セシウムを放射能の指標にしたがっている様だが、セシウムの半減期は一ヶ月程度、つまり三ヶ月経てば1/100になり、もう一年経っているので相当減っている筈である。 しかし、ストロンチウムの半減期は30年、プルトニウムは3万年程度であるので、セシウムの量は減っても、放射能はあまり減ってないのである。 おまけにセシウムはカリウムと同じ様な動態をとり、体内では筋肉に滞留するが、比較的早く排出される。 それでも、チェルノブイリ周辺では、筋肉痛や筋肉で出来ている心臓の病気が増えている。
 それに比べてストロンチウムはカルシウムと同じ様な動態を示し、骨に蓄積される。 それは骨形成の盛んな子供ほど蓄積しやすく、一度骨に蓄積されると、長年排出されないばかりか、ストロンチウムが放出するβ線はセシウムのそれよりエネルギーが高く毒性が強い。 プルトニウムの放出するα線は、更にエネルギーが高く、猛毒である。
 あとはTVでも言ってるので、詳しくは書かないが、とにかく廃棄処理も出来ない発電方式を続けるべきでは無い。
 それを強引に進めようとする野田は、日本を破滅させようとするものであり、北朝鮮よりたちが悪い。

・増税
 現在、消費税増税が取りざたされているが、それ以前にも増税があった。
 それは、たばこ税である。 たばこと言えば、嫌煙権の問題もあり、喫煙しない人達から見れば、『ざまぁみろ』ということであるが、増税であることには間違いが無い。
 それ以前に、もう忘れ去られてはいるが、民主党はガソリン税の暫定税率の撤廃を訴えていた。 ガソリン税の影響はマイカーで遊びに行く人達ばかりでは無い。 以前にも書いたが流通の各段階でその影響がかさ上げされ、スーパーの野菜まで増税分を負担させられている。 元々、増税分に消費税が課税されるという違法性のある税制であるが、民主党はそれを恒久税化しようとさえ試み、現在は知らん顔を装っている。
 が・・・・・
 実はこの問題、そこが論点では無い。
 私の記憶で多少曖昧であるが、現在の日本の支出は、社会保障費に約40兆円、国債の償還利子に約20兆円、残りが30兆円という感じである。 それに対して一般会計税収が40兆円であるので、簡単に計算しただけでも50兆円のマイナスとなる。 それを根拠に増税を訴えているのだが・・・
 ところが、小泉政権時に野党の民主党だけで無く自民党内からも指摘されているのが特別会計における数百兆円だった。 この中には国債償還の為の特別会計もある。 これらのざっくりとした内容は公表されているので、詳細を検討することも可能だが・・・私も5〜6年ほど前に一度解析を試みたが、一般会計や特別会計間でお金がグルグル回っており、会計に素人の私には解析出来なかった。
 民主党は当時、そこには埋蔵金があり、全てを一般会計で処理すれば、単年度の財政赤字は好転すると言っていた。 民主党の中には税理士や会計士、弁護士などもいて、恐らくその見込みがあったのだろうが・・・・政権奪取とともに、その話はうやむやになってしまった。 あげくの果てに、結局10兆円程度の埋蔵金が特別会計内の積立金として存在するが、実際に使えるのは数兆円という・・・いかにも財務省の役人に誤魔化された内容をそのまま発表した。 それと同時に、マスコミでは、自民党の言そのままに、『民主党の言っていた財源はでたらめだった』として、結局埋蔵金は無かったと強く印象づけを行った。
 民主党政権以来、過去最大の予算を計上し、また埋蔵金が無かったかの様に画策したのが野田であった。
 民主党が公表した埋蔵金は、言ってみれば、蔵の中に入っている埋蔵金で、鍵を開ければすぐに取り出せる程度のものである。
 本当の埋蔵金は、地下に眠っているものである。
 現在、財政危機と言いながら消費税増税を訴えている一方で、八ッ場ダムは再開した、今回開通した新東名やその他四つの高速道路建築は、鳩山政権時に無駄使いとして凍結されていたのだが、知らないうちに再開していた。 こういうのが埋蔵金なのだ。 財政がひっ迫しているのに、何故か公共事業はスムーズに進んでいくのは、そこに埋蔵金があるからである。
 つまり、少し掘ってみると、各特別会計に付随する多数の独立行政法人がある。 しかし、そこには一見現金は無い。 何故なら、そこには大量の官僚や役人の天下りが群がっているからである。 それらの天下り連中の報酬こそ埋蔵金なのであるが・・・それはまだ、埋蔵金のごく一部、氷山の一角なのである。
 もう少し掘り進めてみると、それらの独立行政法人は、様々なところに出資し、それらの債権などを保有している。 そして、それらの債権は回収不能となっている。 では、出資先はどうなっているのか・・・ここから先ボンヤリとしか分からないが、出資先の団体の多くは民間団体であるが、やはり大量の天下りが群がっていたり、甘い蜜を吸おうとした周辺の民間企業が群がっている。
 当然のことながら、更に掘り進めれば、そこに群がっている民間企業にも大量の天下り、そして更に群がる民間団体があり、そして更にその周りには・・・という具合に掘り進めれば進めるほど、埋蔵金が出てくるのである。
 こうなると、どうやって埋蔵金全てを掘り出すことが出来るか分からない様に見える・・・が・・・
 実は簡単なのである。 だが時間はかかる。 また、強い決意と実行力も必要である。
 つまり、独立行政法人の全廃、そして債権の回収である。
 独立行政法人の中には、元国立病院や食品検査センターなどの必要な団体も有る。 役人連中はそれを盾に、独立行政法人が必要だと言っているのであるが、そういうものは全体の数%に過ぎないと私は思う。 そういうどうしても必要な団体は、国民投票などで選択し、再度国有化すれば良いと思う。 そして不必要な独立行政法人を全廃し、残したものも含め、全ての債権を回収する。 出資先が返済不能であれば、そこを潰し、そこが抱えている資産を全て没収し、そこに債権があればその債権を更に回収・・・と、いくつの企業が潰れようとも、全て回収する。 更に、天下り連中が不当に取得した資金については、全て訴訟を起こす。 そこまでやらなければ、埋蔵金は出て来ないのである。
 そこに眠っている埋蔵金は、一般会計や特別会計の予算規模からすると、年間100兆円くらいあるのでは無いだろうか。 仮に30年分掘り起こすとして、3000兆円くらいだろうか・・・
 掘り起こすには時間がかかるとしても、毎年数十兆円程度掘り起こすことができれば良いと思う。
 
 さて、埋蔵金の次は支出について徹底的にリストラすべきである。
 それは、民主党がやっていた事業仕分けの様な縦割りでは無く、横切りで全ての公共事業の支出金額の妥当性を精査することが必要である。
 公共事業である以上、国家としての重要性はともかく、少なくともごく一部の地域には有用な事業であることが多い。 従って、事業仕分けの様に縦にぶった切ろうとすれば、当然地元の反発が起こるものである。
 ところが、国家から支出される金額は、様々な独立行政法人やハイエナ企業によってピンハネされ、実際に作業を行う企業や人まで届くものはごく一部である。 恐らく1/3くらいでは無いだろうか。
 これらを直接渡すことが出来れば、現在の公共事業の全ては、約1/3くらいの予算でできると思われる。
 行政には人が居ないから無理と言われるかもしれないが、そもそも何故天下りがいるかというと、行政の構造が事務次官を筆頭にピラミッド型をしていて、つまり大量に定年を待たずに退職者が居るからである。 これらの役人を辞めさせずに、工事現場監督や現場経理などをさせれば、十分に人は足りる筈である。
 そうなると、公務員の人件費が大変だと思うかもしれないが、行政のピラミッドが仮に三角形だとすれば、全て定年まで雇用しても最大で二倍であり、公共事業の無駄を削減できれば安いものである。
 この様に公共事業を進めれば、地元住民も困ることが無く、しかも予算の大半を減額させることが出来るのである。

 更に、社会保障費40兆円と言っても、果たしてそれのどの程度が、実際の受け取る国民に渡っているのか等・・・更に精査を進める必要もある。
 尚、防衛費10兆円程度あるとしても、アメリカからの兵器購入にはかなりの無駄があると思われ、兵器の金額などは言い値で、その妥当性も検討したいところであるが、そこは日本は敗戦国であり、事実上の植民地であると考えれば、目をつぶらざるを得ないのかもしれない。
 この様に、徹底的なコスト削減と埋蔵金の掘り起こしを行えば、増税すること無く、財政の健全化と借金の返済ができるのである。
 これらに全く手をつけずに、消費税だけを上げれば、国民は疲弊し、財政の破綻どころか、国家の破綻を招く・・・それが野田政治である。

真理の言葉

 
表題の番組が、NHKであり、仏陀の話をしていた。

(私自身は無宗教の人間で、全然分かっていないのですが、自分自身のメモの為に、まとまりの無いまま書いてみようと思います)

煩悩とは、「身心を乱し悩 ませ智慧を妨げる心の働き」のことらしい。

それは何か?

恐らく、気持ちがいいことを追求する心では無いでしょうか。
それを得ることは、とても気持ちがいい・・・だからこそ、それを追い求めるのではないかと思いました。

どういうものが、気持ちのいいことか・・・

例えば、SEXをすること
例えば、感謝されること
例えば、他人が自分の指示に、喜んで従うこと
例えば、スポーツの後の一休み
例えば、お金がいっぱいあること
例えば、食べること
例えば、悟りを得ること
例えば、幸せを得ること
例えば、生きること

・・・などなど、人によっても、時代によっても、その時によっても違っている気がします。

こう考えてみると、煩悩の原因は、本来悪いことばかりでは無い・・・というか、むしろ良いことであり、生物として、人間として、当然求めようとすることだと思う。

では、何故、それらを追い求めることが煩悩となり、智慧を妨げるのか・・・

恐らく、それは、その方法や道筋に問題があるのではないだろうか。

気持ちの良いことを追い求める心が強すぎ、その道のりを無視して一気に得ようとする為、他の人や未来の世代の人たちの心や身体を痛めつけ、迷惑をかけるような行為をしてしまうからではないでしょうか。

親兄弟、未来の人たちを含め、自分以外の人を他人と呼ぶなら

他人に迷惑をかけてまで、身勝手な気持ちよさを追い求めることが、煩悩かもしれない。

いや・・・自分自身に迷惑をかけてまで、それらを追い求めることも、煩悩かもしれない。

他人に迷惑がかからないからいいじゃない・・・と、自分を痛めつけること
それは、自分を生み育ててくれている過去の全ての人たちの努力を台無しにすること
つまり、過去の人たちの思いや願いの心を傷つけ、痛めつけていることだから。


この煩悩が、、身心を乱し悩 ませるとすれば、それはとても気持ちが悪いことになってしまう。

気持ち良さを追い求める心が強すぎる為に、とても気持ちが悪くなってしまう・・・ということに・・・

初めから、そうなることが分かっていれば、そうしないのか?
必ずしも、そうでは無いのかもしれない。

「悪いことをすれば、地獄に堕ちる」
という言葉は皆知っているが、それを100%信じてる人は、ほとんど居ない。

それは、あの世の天国と地獄を想定している為、現世の人は両方とも見た人は居ないからである。

しかし、多くの人たちは、それはあの世では無く、現世に在ることを感じているのでは無いだろうか。

更に言えば、自分自身の心の中に天国や地獄が生じてくるのだと思う。

しかし、地獄に堕ちることが分かっていても、悪いことをする人たちは多い。
つまり、本当の意味で、分かって居ないのかもしれない。

煩悩についても、同じかもしれない。

では、どうすれば、本当の意味で分かることが出来るのか。


煩悩は、智慧を妨げるらしい。

では、智慧とは何か・・・

智慧と知恵は、定義が異なるらしいが、そういう哲学的議論は置いておくとして・・・

智慧とは、「物事の道理を判断し処理していく心の働きであり、物事の筋道を立て、計画し 、正しく処理していく能力」で「煩悩を消滅させることができる」らしい。

・・・

煩悩は智慧を妨げ、智慧は煩悩を消滅させる・・・・

なんとなく、卵が先か鶏が先か・・・に似ている。

仏陀の時代、多くの人は難行苦行を行い、煩悩を消滅させようとした。
そして、仏陀自身も、死線を彷徨うような難行苦行をしたらしい。
しかし仏陀は、6年間の難行苦行の末、それでは煩悩を捨てることが出来ないと判断し、中断した。
(散々苦しい想いをして、何も得られないじゃないか!・・・と思ったのかもしれない)

ある意味、それが第一の悟りではないだろうか。

そして、健康な身体を取り戻した後、菩提樹の下で深く瞑想をすることにより、智慧を身につけたらしい。

それこそが、本当の悟りに至った・・・

つまり、悟りとは、仏教の中の神秘的な発見では無く、とても客観的で合理的な知見だと思う。

しかし、僧侶たちは、常に悟った状態でいることに努力するが、私たち一般の人は、様々な経験のもとで、たま〜に悟ることがある・・・という違いはあると思う。

当時の僧侶達は、仏陀が難行苦行を中断した時、「堕落した」と酷評したらしい。

難行苦行に残った僧侶達は、悟りを追い求める心が強すぎた為に、新たな煩悩を産んでしまったのかもしれない。

現代でも、難行苦行をする人たちが多いのは、
ひょっとすると、「難行苦行では悟れない」という仏陀の第一の悟りを得る為かもしれない。

何故なら、難行苦行をしなければ、「難行苦行では悟れない」ということが、本当の意味で分からない。
分からなければ、いつまでも「ひょっとすると、難行苦行で悟れるのではないか」という気持ちが残ってしまい、本当の悟りには到達しないから・・・
あと、様々な事象による感情に流されない忍耐力を身につけるという意味も大きいらしい。
「あんなに苦しい思いを乗り越えることができたのだから、世間の些細なことを自分が乗り越えられない訳が無い」という自信をつけ、冷静でいられる・・・みたいな感じでしょうか。

しかし、一般の私たちは、そんな危なく辛いことはしたく無いし、そんな時間も無い・・・

だから、科学的な想像力で、乗り越えてみたい。
例えば、難行苦行を行えば、体内の栄養状態が欠乏したり、偏ったりして、脳を健全な状態にすることは出来ず、意識がモウロウとして、冷静かつ客観的な判断ができる精神状態になる筈は無い。
だから、難行苦行では悟れない。

これで、忍耐力は培えないが、難行苦行という特別な方法では無く、ごく普通の生活の中でよく考えることが重要だという、第一の悟りは乗り越えることが出来るのでは無いだろうか。

忍耐力は養えないので、常に悟った状態にいることは出来ないが、せめて、一日の終わりに、静かな落ち着ける場所で、その日一日のことを思い返し、分かったこと、反省するべきこと、嬉しかったこと、悲しかったことなどを、第三者的な目で考察してみる・・・というのはどうだろうか。

その場その場で、冷静な判断は出来ないかもしれないが、少なくとも次の日などに修正したり、フォロウしたりして、大きな失敗を避けることが多くなるかもしれない。

また、意地やこだわりの様な、心の中で凍り付いた思いについて、時間がある時に、「何故そう思うのか」と、何度でも考えてみると、少しずつ心の中の氷が溶け、より良い形になったり、他人を受け入れたり、自分自身を受け入れることが出来る様になるのではないだろうか。

人間である以上(いや他の生物でも)、感情を捨ててしまっては面白く無い。

しかし、自分および他人、そして先人の心を大事にして、感情に流されても、それによる悪影響を最小限に留めることができれば、そう悪くは無い世界になるのではないだろうか。

人間である以上、科学を含め、様々な真理を追究したいですが、それによって出来た心に歪な氷をそのままで良いと思わず、より良い形に整えることは重要だと思います。

そして、一方の真理の追究だけで無く、対局にある真理、様々な方向の真理も、同時に追求したり、受け入れたりすることも、必要かもしれない。

孤立死・・・

 
最近、よく報道されている孤立死または孤独死・・・

孤立死と孤独死・・・呼び方は似ているが、大きな違いがある。

双方とも、住居内で死亡し、死亡時から時間が経過して発見されるものであるが

孤独死の場合は、その原因が病死や住居内事故死であることがほとんどである。
よく報道される大物女性タレントの孤独死が、これにあたる。

一方、孤立死とは、社会から孤立し、法整備された様々なセイフティーネットにも救われず、本来死ぬべきでは無い人たちが、餓死や凍死によって死亡することである。

日本国憲法により、基本的人権が認められているが、その中で一番重要なものは生存権である。

日本国は、憲法によって、生存する為の必要最低限の生活が保障されている。

つまり、孤立死が発生する様な社会的状況は、憲法違反なのである。

少々話はずれるが、ホームレスを強要されている人たちも、必要最低限の生活が保障されているとは言えず、その様な社会的状況も憲法違反である。
※この場合の「強要されている」とは、そうしたくは無いのに、やむを得ずそうしなければならない状況を言う。

ホームレスについては、ボランティア団体に対処が委ねられ、最初から無視されてきた気がするが、孤立死については、10年くらい前から始まった気がする。

そこが重要な点である。
つまり、元々無かったものが、無理な経済成長の為に発生したのである。

何年か前に、「おにぎり食べたい」という遺書を残し、餓死した事件が報道された。

日本は高度経済成長を遂げ、世界有数の経済大国になった。

住居内での餓死や凍死が相次ぐという状況は、幸せな国と言えるだろうか?

また、毎年自殺者が数万人いる状況は、幸せな国と言えるのだろうか?

国内には仕事が減り、国民は不安感を抱え、子供を育てる気分にもならないというのは、目指していた社会なのだろうか?

高度経済成長が始まる前、つまりまだまだ貧乏だった日本においても、その様なことは無かった。

『昭和枯れススキ』という歌がある様に、ゼロでは無かっただろうが、相次いでいるという状況では無かった。

なんの為に経済成長させてきたのだろう?

政治家や官僚はともかく、一般の人は、幸せな国にしようと頑張ってきたのではないだろうか?

確かに昭和50年くらいまでの高度成長期は、経済成長と共に幸福も成長してきた様に思う。

しかし、バブル期以降の見かけ上の経済成長は、幸福を成長させないばかりでは無く、不幸を生み出している。

そして、その見かけ上の経済成長を演出する為に、国が多額の借金を重ね、その借金のお陰で、この不幸の連鎖から脱出できない状況になった。

つまり、自民党を始めとする政治家、官僚、そしてそれらに協力する財界、学会、マスコミが、国民に不幸を押しつけてきたのである。

つまり、バブル期以降の経済政策は、無駄であるばかりで無く、悪行なのである。
そして、現在の民主党政権も、同じことを推し進めている。

何故、民主党が政権をとれたのか?

それはまさに、この様な状況から脱したいという潜在的な国民の願いから、「コンクリートから人へ」、「官僚の悪行を許さない」という鳩山民主党の政策を支持したからではないだろうか。

それが、アメリカの陰謀により、小沢・鳩山という政治家が政権中枢から遠ざけられ、アメリカの操り人形と成り下がった菅や前原、岡田、野田が政権中枢に居座った為、政策が自民党と全く同じになってしまった。

鳩山や小沢が何故失脚したか・・・それは前にも書いたが、簡単に言えば、アメリカに気に入らない政治をしようとした為、官僚や検察、マスコミによって貶められ、私たち国民がマインドコントロールされてしまった為である。
小沢は、前にも書いた様に、田中角栄の思想を引き継ぎ、アジア圏との友好を深め、強すぎるアメリカの影響を弱め、外向的にバランスをとり、日本を本当の意味で、独立国家としようとした。
鳩山は、ロシアとのパイプを生かし、やはり日本をアジア圏で安定化させ、本当の意味での国民の安定化を図った。
その為、日本を間接統治しているアメリカにとって、非情に都合が悪かったのである。

今までも再三書いたが、人間が必要なものは社会であって、国家では無い。

ただ、幸福な社会を目指す為に、世界情勢上、やむを得ず、防衛力を有した国家という形態を便宜上とっているだけの話である。

もし、国家が社会を不幸にするものであれば、国家の存在意義は無い。

孤立死が頻繁に発生したり、大量の自殺者を発生したり、被災地が一年経っても被災地のままであることは、もはや・・・・

社会が壊れている

・・・のである。

そして、壊したのは、名ばかりの政治家と、明治維新来続いてきた利権まみれの破壊工作員である官僚から成る日本国である。

国民との約束を平然と破ることに恥ずかしげも無く一生懸命になる総理大臣、国会でのくだらない議論、悪行の限りを尽くし責任をとることの無い官僚、多くの人を地獄に突き落としながら平然としている厚顔無恥の東京電力、高度経済成長期を支えたお年寄り達の楽しみである相撲を汚れさせ、再度同じ理事長が返り咲くという悪態を見せる相撲協会、およびNHKの悪行を背負う海老沢元会長が委員長をする横綱審議委員会・・・などなど・・・

今の日本には、建前上も、正義が存在しない。

その様な国家で育った若者が、暴力的になったり、犯罪を犯したり、無気力になったりするのは、至極当然のことに思える。

こういう閉塞状況の時、国民によって独裁者が望まれることがある。
そういう望まれた独裁者は、国民にとって、とても気持ちの良い政治家である。
望まれた独裁者自身も、人一倍の正義感をもって、誰よりも国民の為の政治を行う。
そして、その気持ちよさを継続させる為に、独裁者に強力な力を与え続け、少々の悪行は見逃す。
気がつけば、絶対無比な独裁者が生まれ、独裁者自身も気がつかなかった本性が現れる。
「ヤバイかもしれない」と、国民が思った時には、もはや手遅れとなっている。


そういう意味では、日本という国の本当の地獄は、今始まったばかりなのかもしれない。

今の状況であれば、アメリカの一つの州となった方が、まだマシかもしれない。

久しぶりの投稿

 
休みの日や一日の仕事が終わった時・・・


なんの不安も無く

ウキウキとして

自然に笑顔になる


そういう状態を、幸せと言うのではないだろうか。


もし、誰かを、そういう幸せな状態にすることができれば、それは至上の喜びではないだろうか。


もし、その誰かが、愛する人や家族であれば、言葉では言い表せないほどの喜びだと思う。


この単純な幸せを叶えることが・・・いかに難しいことか・・・


まして、周りにいる人たちの多くを幸せにすることは難しい。

街中の人たちの多くを幸せにすることは、更に難しい。

国中の人たち、世界中の人たちの多くを幸せにすることは、気が遠くなるほど難しい。


しかし、それに向かって進むのが人間なのではないだろうか。

生物としての人類は、種の保存が最大のテーマ。

しかし、文化を有する人間ならば、世界中の人たちの幸せを目指すべきだと思う。


私たちの現在のやり方は、その方向に向かっているのだろうか・・・

私には、そうは思えない。


世界には、週に100円程度の薬が無い為に死んでいく子供がいる、食べ物が無く泥を食べて空腹を紛らわしている人たちもいる、銃弾に追い回される人たちもいる・・・いや、もっと辛い人もいるかもしれない。

それら全てを想像することは難しいかもしれない。


もう少し想像し易い日本国内については、どうだろうか。

世界中の辛い人たちに比べれば、かなりマシな方かもしれない。


しかし、これから進もうとしている方向は、更に幸せになる方向なのだろうか・・・

よく、昭和40年代の銀座の映像が出ることがある。

お母さん達が、ニコニコ話しながら歩いている映像を見るだろう。

今、休日の銀座に行ってみると、笑顔で歩いている人は、ほとんど居ない。

明らかに、今より昭和40年代の方が幸せだったと言えるだろう。


今の方が、物も金もある筈なのに・・・何故?

私は以前、「それは、経済成長期で、日々良くなっているから」だと思っていた。

以前にも書いたが、もう日本は経済成長しない・・・

それでは、これからはずっと不幸なのだろうか・・・

そうかもしれない・・・

しかし、お金だけの価値観では無く、もっと多様な価値観で生きることができれば、経済成長しないことによる不幸は回避されると思う。

多様な価値観とは何か・・・それは、一人一人考えること・・・何故なら、一人一人違った価値観を持つことが、多様な価値観であるのだから・・・

では、それだけで幸せになれるのか・・・・否

それは、経済成長しないという閉塞感を解放させるだけである。

つまり、最初に書いた幸せのうち、『ウキウキとする』部分である。


古今の銀座の話で私が抜けていたところ・・・

『不安が無い』という状態が重要なのである。

勿論、全ての不安を取り省くことは出来ない。

しかし、パートナーや家族、友人に対する不信感や、明日の生活費を心配する様な不安は、考え方ややり方次第で、取り省くことが出来る気がする。

つまり、直近の不安は取り除けるということである。


さて、では、具体的にどうすれば日本中、世界中の人たちを幸せにすることが出来るのだろうか。


それは、まず目の前にいる人の幸せを考えることだと思う。

重要なのは、他人を不幸にして、目の前の人を幸せにしようとしても、その人は幸せにはならないということである。


日本中、世界中の人たちが、そういう観点から、経済や政治、人との関わりを考え、出来る範囲で行動することができれば、恐らくそれは、世界中の人々を幸せにするという人間の最終目的の方に進むことが出来ると思う。


お金・・・つまり資産は重要だが、それを増やすだけでは、本当の豊かさや幸せは得られない。

過度に追求すれば、逆に貧しく、不幸になるだけであることは、今となっては明白である。

国は、はっきり言うべきだと思う。

 
原発事故による避難地域や警戒区域などが設定されているが、
住民は、『避難するのは仕方ないが、いつ戻れるのか?』
という、疑問が起こっている。

当然である。

しかし、実は・・・

もう帰れない人たちが多い

ガス状に広がった放射性セシウム134は、半減期が約30年である。
放射線量が1/100になるには、半減期の三倍かかるらしい。

つまり・・・

放射性セシウムの量にもよるが、

約100年は、戻れない

と、覚悟する必要がある。

更に、原発に近い地域には、プルトニウムも飛散していると考えられる。
プルトニウムの半減期は、約6500年、つまり・・・

約20000年は、戻れない

と、覚悟しなければならない。

つまり、事実上、帰れないのである。

しかも、福島第一原発は、未だに収束しておらず、放射能を出し続けている。

つまり、こういう汚染区域は、

広がることはあっても、縮まることは無い。


勿論、100年、20000年という期間になれば、土壌改良や水質改良の技術が進み、多少は短くなるかもしれないが、それは保証されたものでは無い。

100年も、20000年も、住むことが出来ない、入ることが出来ない、直接見ることが出来ない地域が福島に出来るということは、

地図には載っていても、消滅したのと同じ なのである。


更に、5年後、10年後には、放射能の影響による身体の異変が起きてくる。
それらは、遺伝子異常によるものなので、それらの地域で、現在、乳幼児の子供達は甲状腺癌、大人の人たちは様々な癌、白血病などのリスクを負う。

更に、放射性物質を取り込んで、被爆をした女性から生まれてくる子供達は、様々な遺伝子異常や奇形児のリスクが高く、本人・両親ともに不幸に陥る。

こういう事態が将来起きて、初めて今回の原発事故による恐怖の全体像が分かる ことになるのである。

本日のニュースで、校庭の放射線量が高く、校庭で遊べない学校が指定されたそうであるが・・・

本来、こんな地域に、子供や女性が住むべきではない のである。


現在でも、40%近い人たちが、原発を容認しているそうであるが、是非、こういう恐怖の全体像を理解した上で、判断して欲しい。

小出吾郎氏の本を読んでみると、

日本人には、原子力を扱う資格が無い

ということが分かるだろう。


『命とお金とどちらが大事か?』と聞かれれば、

ほとんどの人が『命』と答えるだろう。

しかし、実際には

『他人の命より、自分のお金が大事』

という行動をしている人たちは、少なくない。

直ちに健康に影響が出る数値では無い

 
有名な枝野官房長の言葉です。

野菜や水道水、大気などに対しての発言ですが、まさに適確な表現だと思います。

その後、内外からのプレッシャーもあって、枝野官房長官の言葉も、徐々に踏み込んで、最終的には・・・・

『流通している野菜は、安全です』

と、なった。

実際にどうかは別として、これは誤った発言だと思う。

恐らく、当初の発言は、悪く言えば、官僚が作った後から言い逃れがいくらでも出来るものであり、最近の発言は、周りからのプレッシャーで言わざるを得なくなった、また言わされたものだと思う。

では、何故、当初の発言が適確な表現だと言えるのか。

一つには、当初から書いている様に、野菜などは一点(一品)測定なので、安全が保証できるのはその数値だけ、計った野菜だけであって、他のものについては何も言えないからである。

二つ目は、『直ちに…』という部分である。
これは、『一回や二回食べたからと言って、直ちに・・・』という意味と、『食べたからと言って、直ちに病変する訳では無いが、将来は分からない』という、二つの意味がある。
そして、それは正しい表現で、つまり、放射能の人体への影響というのは、まだほとんど分かっていないのである。
様々な、仮説はあるだろうが、因果関係が明らかになっているのは、放射性ヨウ素による子供の甲状腺癌くらいである。
つまり、因果関係がよく分からない症例が多数あるということを示している。

分かっていないのだから、安全か、危険か、ということは、分からないのである。
つまり、放射能とは、そういうもので、政府が判断できる様なものでは無く、政府が『安全だ』と宣言しても、放射能の危険性が消える訳では無い。
『政府は、原子力専門家からの意見を得ているので、確実性が高いのではないか』と、思う人がいるかもしれないが、その専門家という人たちは、原子力発電が無ければ職を失う人たちなので、どうしても安全を強調する。
他人の命より、自分の懐の方が重要なのである。
まぁ、それが人間の弱いところであり、その弱さを克服する様に精神的進化をした時、初めて人類が原子力を扱う権利を得るのだろう。
話が逸れてしまったが、つまり、『当てにならない』ということである。


さて、では放射能とは、どういう危険があるのだろう。
よく、『シーベルト』と『ベクレル』という単位が出ている。
詳細は省き、簡単に言えば・・・
『ベクレル』とは、放射線量の単位であり、昔はキューリーという単位が使われていた。
『シーベルト』とは、放射線量『ベクレル』の人体に対する毒性を示す単位である。

何故、この二つの単位があるかというと、放射性ヨウ素や放射性セシウム、プルトニウムなどの、放射性物質の種類によって、同じ放射線量でも毒性が異なっているからである。

原発事故以降、日本人は年間20ミリシーベルトまでの放射能を我慢しろということになっているが、通常は年間1ミリシーベルトである。
この20ミリシーベルトが、安全なのか、危険なのかということは、私には分からないが、もしその値が全く健康に影響が無いのであれば、通常から20ミリシーベルトという基準の筈である。
つまり、通常が1ミリシーベルトまでという基準である以上、20ミリシーベルトという値は健康に影響がある可能性がある数値であって、基準を20倍も甘くしたということは、『ある程度の健康被害を覚悟せよ』ということなのである。
何故なら、シーベルトとは、人体に対する放射線の影響を現した数値だからである。

一方、原発作業員は通常年間100ミリシーベルトまでは浴びてもかまわないが、非常時には年間250ミリシーベルトまで浴びてもかまわないということになっている。
原発作業員だからと言って、放射能に強い人間という訳では無いし、そんな人間は皆無であろう。
では、何故そんな基準なのか、『ある程度危険があることを承知した上で仕事をしている筈だから』という考え方で、高額の報酬と引き替えに命を削ることを要請していることもある。
日本には職業選択の自由が有るのだから、嫌なら辞めればいい・・・ということであるが、実際に現場で働いている人たちは、東電などの孫請けやひ孫請けの会社が、お金に困っている人たちを集めて作業にあたらせているという、『貧しい人間は、命も軽い』という非人間的な考え方に準拠している。
ただ、最も大きな要因は、原発作業員は防護服を着ていて、それらは十分に管理されているということだろう。
勿論、防護服を着ていても、放射線を遮断することはほとんど無いのであるが、一般の人たちが放射線の直接的被爆よりも放射性物質を体内に取り込むことによる内部被爆を前提としているのに対し、原発作業員がちゃんと防護服を着て、管理されていれば、内部被爆はほとんど無いということを前提としているからであろう。
つまり、防護服を着ていれば、内部被爆を考慮する必要は無く、原子炉や使用済み核燃料プールからの直接的放射線に注意すれば良いということである。

直接的被爆(外部被爆)と、内部被爆、どう違うのか。
外部被爆は、外からの放射線なので、太陽の下で光を浴びるのと同様に、その場限りの毒なのである。(正確には、ごく僅かに、その放射線によって、体内物質が放射性同位元素に変わる可能性もあるが、それは僅かであろう)

一方、内部被爆とは、放射線を出す物質そのものを体内に取り込むので、取り込まれた放射性物質は、体内で放射線を出し続ける。
つまり、例えば、一日10の放射線を出す量を毎日取り込むと、1日目は10、2日目は20・・・1ヶ月目は300という放射線に被曝することになる。
放射性ヨウ素の場合、半減期が約7日、放射線量が1/100になるのは半減期の3倍と言われている。 また、ヨウ素という元素自体が、チロシン(タンパク質を構成するアミノ酸の一つ)に使われていたり、成長ホルモンである甲状腺ホルモンにはヨウ素が使われているので、放射性ヨウ素も同様に使われることになり、それは甲状腺という喉にある器官に多量に保存されたり、タンパク質の構成成分として体中に保管されることになる。
従って、毎日同じ程度の放射性ヨウ素を摂取し続けると、だいたい一日に取り込む量の20倍程度の放射線量を常に被爆し続けることになる。
放射性セシウムの場合、半減期が約一ヶ月と言われており、取り込んだセシウムの10%程度はそのまま排出されるが、残りは身体の中で100日程度保管されることになるとのことなので、一日に取り込む量のだいたい100倍程度の放射線に被曝することになる。
プルトニウム140の場合、半減期は6500年ということなので、生物が生きた日数倍の放射線量を覚悟した方が良いであろう。

従って、短期間の被爆の場合は、外部被爆に気をつけなければならないが、長期間に渡る場合、内部被爆の毒性は著しく増加し、厳重に注意する必要がある。
現在、福島第一原発は落ち着いているとは言え、高止まりしている状態で、約一ヶ月が経過した。
今後は、9ヶ月程度で外部への放出が無くなるそうであるが、見通しが立っている訳ではない。
つまり、放射性ヨウ素は一日取り込む量の20倍、放射性セシウムの場合は100倍量の被爆を受け続けることを覚悟する必要がある。


この様に、放射能の被爆というものは、蓄積されていくものなのだが、実は放射線による人体に対する害は、更に蓄積されていくことになる。

記事が長くなりすぎたので、このことは次回に譲ることとする。

一つになろうニッポン!

 
先に、謝っておきます。
ごめんなさい。

m(__)m


『一つになろう日本!』

と、皆さんが被災地を応援しています。

それについて、私の様な人間が、どう思おうと、誰にも関係の無いことなのですが

私には、どうしても、違和感があり、同調できないのです。

例えば・・・

頑張れ東北、関東!と、スーパーに東北・関東の野菜が売られています。

私は、東京に住んでいるので、常日頃、東北・関東の野菜にはお世話になっています。
また、福島第一原発は、東京電力の原発なので、今まで本当にお世話になっていました。

しかし

だからと言って、放射能の危険性のある野菜は食べられない。

出荷制限のかかって無い野菜は、安全だとTVだけで無く、政治家まで言い出した。
しかし、前に書いた様に、その基準は長期にわたる被爆を前提にはしていないし、放射能の調査方法も、一点測定で、母集団(全体)を代表している数値では無い。 それはつまり、たまたま計ったその野菜から放射能が計測されなかったからと言って、安全とは言えない、近くに異常に高い放射能を持つ野菜がある可能性は否定出来ないということを示しています。

私は、健康食品の品質管理に携わる人間として、そんな測定データで安全と結論を出すことは、絶対に許せないのである。

食品とは、絶対安全領域になければならないもので、だからこそ、食べて健康に良いのである。

勿論、絶対安全な食べ物など無いのかもしれませんが、ほとんどの人たちが安全だと実感できるのが、食品の安全基準なのです。

これは危険かもしれないと思いながら食べたら、逆に免疫力を低下させ、胃腸も悪くなる。
そんなものは、食品とは言えない。

今までの厚生労働行政は、そうやってきたし、恐らく今もそうだと思う。
安全だと言っているのは、地方自治体の長であり、政治家であり、TV局であって、厚生労働省が安全宣言をしている訳では無い。

被災地の農家や漁師(漁業関係者)を補償しなければならないのは、東電であり、管理を怠った行政であり、野放しにしてきた自民党、見ないふりをしてそれを踏襲した民主党、東電の寄付によって研究をし自惚れている東大閥の研究者、そして恩恵を受けていた首都圏の私たちである。
しかし、それは復興や再生の為のお金としてするものであって、消費者が命を削るものでは無い。


頑張れ東北、関東と、スーパーや特設売り場で野菜を買っている人たちがTVに映し出されています。
私は、その人達と一つにはなれません。

関西大学の災害の先生が、『首都圏の人が、水の買い占めに走るなんて、とんでもない!』と言っていました。
私は、『関西の人間に、放射能という見えない毒で、真綿で首を絞められる様な恐怖を味わっている首都圏の人間に対して、安全な場所から偉そうなことを言うんじゃない』と、怒ったものです。

また、首都圏の工場が計画停電で、ほとんど生産不能に陥った時、
『よっしゃ!大阪のチャンスだ!』
と言った知人がいました。

更に、東北の工場からの部品が無くなった首都圏の工場が、西日本の客先の会社に納期遅延を申し込んだ時、その西日本の会社は海外からの調達を検討を始めました。

とある証券アナリストは、『東日本の生産能力を全て西日本に移すべきだ』とTVで言っていました。
そうなれば、東日本の産業は空洞化し、復興どころか復旧すらままならないというのに・・・

世界の国々が日本を切り捨てる準備をしている中、西日本も東日本を切り捨てる準備を着々と進めているのです。

これで、日本は一つと言えるのでしょうか。


しかし、『それでもいいじゃないか』と、私は思うのです。
一つにならなくても、表面的でも、それぞれの人が、それぞれの立場で、それぞれの思いで、それぞれの支援をすれば、総合的に大きな支援となるのでは無いでしょうか。

先に書いた野菜についてもそうです。
農家の人たちは、『安全な食べ物を消費者に送るのが私達の仕事で、危険性があるのなら出荷制限を受け入れます』と、言っていました。
つまり、農家の人たちも、食品の安全に対する思いは同じなのだと感じました。
〜勿論、喜んでいる筈はありませが・・・

政府が『安全だ、危険は無い』というから、農家の人たちも売ろうとするのです。

『危険だ。出荷制限だ。』と政府が言えば、政府が危険性を認めれば、その損害は恐らく全額補償対象となるでしょう。
『安全だ、危険は無い』と言われれば、例え売れなかったからと言って、補償対象とはならないかもしれないし、恐らく全額補償とはならないでしょう。

つまり、政府は農家の為に安全宣言をしたのでは無く、東京電力の補償金額を減らす為に安全宣言をしているのです。


まぁ、『一つになろう日本』ということは、『一つにはなっていない』ということを示しているのですから、それはそれで良いのかもしれません。

ただ、私は一つになる必要は無いし、それは無理だろうと思います。

自分なりの対応

 
さて、震災以来、枝野官房長の記者会見が続いているが・・・

現政権にとって、枝野さんが官房長であったことは、かなり幸いだったかもしれない。
容貌、声、口調、論理構成、どれをとっても、現在の国会議員の中では、一番信頼感が得られる。
実際、震災関連の記者会見で、誰が一番信頼できるか・・・というアンケートでは、枝野さんが一番であった。
もし、仙谷さんや、菅さん、谷垣さんだったら、国民の怒りが爆発していたかもしれない。

原子力保安院や東電などは論外であろう。
実際、東電の原発を監視する経済産業省の原子力保安院からは、多くの役人が天下っている。
原子力安全保安院の上部組織である原子力安全委員会は、東大閥の原子力研究者の引退組で構成されている。
東電から東大閥の研究者には、6億円の研究費が渡っており、しかもそれは表になっている部分で、裏金、接待、贈答品などを含めれば、考えられないくらいのお金が渡っていると推察される。

まさに、産官学の汚職構造である。

まぁ、これについては、どの分野でも似たり寄ったりなので、今は語らないが・・・
この産官学の汚職構造が、日本を危機に落とし入れ、現在は東日本の国民の命を危機にさらしていて、その命の危機が、近い将来日本全土・近隣諸国へ、そして将来は北半球〜全地球へと広がっていくことは事実である。
しかし、それらに目をつぶり、見ないふりをし、選挙にも無関心で、暴動一つ起こさなかった日本人全員の責任と言えるだろう。
海外から批判されて、当然と言えるかもしれない。

さて、話がそれてしまったが、枝野官房長の記者会見は、多くの国民に安心感を与えている。

しかし、だからと言って、真実を語っているとは言えない。
それは、真実を語れるほどの情報は無いのであろう。

政府に情報を上げるのは、経済産業省(原子力安全保安院)であり、原子力安全委員会であり、東電などで・・・まさに、汚職の産官学からしか情報を得られていない。
今回の原発不能事件での犯人は東電であり、経済産業省、原子力安全委員会、東大閥の研究者はその共同正犯である。
政府は、この犯行グループからの情報で判断しており、国民もテレビを通じて犯人グループから情報を得ている。
記者クラブメディアと言われるマスコミも、罪が一つ減じられるかもしれないが、やはり犯人グループに組していると言えるだろう。
中でも、記者会見の記者からの質問を放送しない民放、最初の数個の質問のみで打ち切るNHKの罪は重い。 どう考えても、後ろの方の質問に重要なものがあるのは明白である。
これで真実を語れというのが、無理な話である。

さて、ようやく本題に入るが・・・

そこで、自分なりに情報を判断し、自分で考察し、対応することが重要となってくる。

まず、前提として、ある仮説を立てる。

1.発表データは、信じる。
2.政府、テレビ、新聞の考察や判断は、街頭インタビューや視聴者の声を含めて、信じない。

1のデータ自体は、北朝鮮では無いのだから、嘘を発表する度胸は無いであろうし、2は情報を扱う上での基本である。基本であるが、出来ていない人が多いし、私もしばしば流されることがあるのは事実なので、常に戒めている。

よく、『放射能のことを正しく理解し、怖がりすぎないことが重要だ』とテレビのコメンテーターは言うし、オーム返しの様に、視聴者の声としても発表されているが・・・
それは無理な話である。

何故なら、確かに放射性物質自体の研究はかなり進んでいるし、多くのことが分かってきている。
しかし、放射性物質が人体、生態系に及ぼす影響については、ほとんど分かっていないのである。
ここで『放射能のことを正しく理解・・・』とは、『放射能の人体や環境への影響を理解する』ことであろう。
『正しく理解』しろと言っても、ほとんど分かっていないのだから、無理な話なのである。

チェルノブイリ事故やスリーマイル島の事故の経験から、『乳幼児に対して、放射性ヨウ素が、5〜10年後に甲状腺癌を引き起こすことが極めて高い。』など、いくつかの因果関係が分かっている疾病はあるが、事例が少ないし、小児の甲状腺癌ですら発症が5年、10年単位という長いスパンとなるので、因果関係を確認するのが難しいのである。
ジャーナリストは、チェルノブイリ事故の後、5000人の小児が甲状腺癌になったが、死亡したのは30人で、思ったほどひどく無いというニュアンスで伝えている。
国やジャーナリストにとって、30/5000とか、1/10万とかの分数で現される命でも、本人にとっては、1/1の命なのである。
更に、5000のうち、助かった4970人は、どうなったのだろう?
甲状腺摘出手術を受けたのであるから、当然成長は止まった筈である。
乳幼児は、0〜5歳くらいであろうから、5〜10年後に発症したとして、5〜15歳で成長が止まることになる。
また、当然、後遺症も残っているであろうし、通常と同じようには長生き出来なかったであろう。
後遺症に苦しみ、長生きできなかった子供達、そしてそれを見守る家族、全てを不幸のどん底に落とし入れたのであるから、まさにヒドイ話なのである。

お金でしか判断出来ない人類は、幸福という尺度を忘れてしまったのであろうか。
私たちが求めなければならないのは、お金で無く、幸福だった筈だ。
『お金で買えない幸せは無い』と極論する人たちも、実は少なくない。
しかし、今回の地震、そして津波に対して、生死の境目に、お金が何の役にたったのであろうか?
確かに、生き残った人たちが、これから復興しようとする時、お金は重要だ。
つまり、お金とは、助かった後の少し余裕が出てきた段階で、ようやく寄与する程度のものである。

どんどん話がずれてしまっているが・・・

つまり、ほとんど分かっていない事象なのだから、それぞれの人たちが、自分なりの、自分が納得できて、可能な対応をとる必要がある。

(続く)

東日本大震災…

 
東日本大震災や福島原発事故に対して、書きたいことは山ほどありますが、気持ちのままに書いてしまうには、あまりにも深刻な事態ですので、少しずつ、表現を考えながら書いていきたいと思います。

多くの賞賛すべきこと、多くの批判すべきこと、改めて思うこと、などなどいろいろありますが、どれも多すぎて、忘れてしまったことも多い感じがします。

そういうことも含めて、今後、少しずつ思い出した順に書いていこうと思います。

今回は、まず一つだけ指摘しておきたいと思います。



東日本の野菜

 ご存知の様に、様々な測定結果から、東日本全域にわたり、福島原子力発電所由来の放射性物質が広がっています。 そこで東日本の野菜の放射性物質(ヨウ素131、セシウム134・137)が調べられている訳です。

問題なのは、そのサンプリング方法と、測定数が、統計学的方法によって検定されたものでは無いと思われること。
簡単に言えば、そのデータが、『その場所全体を代表している値かどうか分からない』ということなのです。

政府は、各都道府県に野菜の放射性ヨウ素、放射性セシウムを測定し、報告することを求めましたが、そのこと自体がまず適正ではありません。
最初に異常が発覚した福島県のほうれん草は、法的に報告義務のあるものでしたが、その後の影響として、福島県全域の全ての野菜が危険だと思われました。
各都道府県の行政機関とすれば、万が一にも基準値を超えるものが出たら、それぞれの都道府県は多大なる損害を被ることは明々白々となったのです。
各都道府県の行政機関とすれば、『異常なデータは出て欲しくない、できれば測定すらしたくないし、報告も発表もしたく無い』と思うのは当然でしょう。
つまり、測定者自身が、冷静な立場には無く、ある方向性の希望を持って測定しています。
このことが、既に統計学的に検討する価値の無いデータとなっています。

実際、各都道府県からの報告(厚生労働省のHPに公開されていた)を見ると、1点測定、つまりその場所で一個の測定しかしていないとしか思えないものでした。
これでは、その1個のデータとしては信用するにしても、そこから収穫された他の野菜はどうだったのか分かりません。

この様な方法では、
『少しでも原発由来の放射性ヨウ素、セシウムが測定されれば、その一帯から収穫される野菜には危険なものがあるかもしれない』
という結論しか得られません。

『基準値より上だから・・・』とか『基準値より下だから・・・』とか、議論すること自体無意味です。

何故、この様なことになっているのか・・・
それは、日本の厚生労働行政というものが、そもそもそういう抜き打ち検査しかやらないことを前提としているからなのです。
行政とすれば、法的に危険と判断されるものを処置することが仕事なのであって、安全を確保することは、立法段階で検討することという立場なのです。
従って、厚生労働行政が定める基準というのは、過剰とも言えるほど厳しいものなのです。

ところが、この放射性物質に関する暫定基準というのは、原子力安全委員会が提示したものをベースとして、食品安全委員会としては検討していませんでした。
両者の立場は、著しく違うのです。
厚生労働行政は、著しく厳しい基準で、甘い検査体制を前提としており・・・
科学者グループは、できるだけ甘い基準で、科学的妥当性をもった検査体制を前提としており・・・
今回は、できるだけ甘い基準で、甘い検査体制という、不幸な結果になった訳です。

今回の測定データが、『全体を現しているとは言えない』ということは、地元生産者の皆さんも分かっていて、
『中には安全な野菜もあるはずだ』と主張しています。
それは事実だと、私も思います。
しかし、逆に
『中にはもっと危険な野菜もある』ということも、示唆しているのです。
従って、厚生労働省としては、近隣の都道府県から収穫されたどの野菜に対しても『安全だ』という保証はしません。
もともと役人は、責任をとることを著しく嫌います。
『安全だ』と宣言して、後々健康上の被害が出れば、国家賠償になる可能性も有りますし、当然担当者の出世もありません。
こういう自分の利益に全くならないことをしない官僚の是非はともかく、そういう機関だということは理解しなければなりません。

今回は小児癌を始めとする、何が起こるか全てを知るものは無いという放射性物質ですので、グレーゾーンでは許されません。

ここは、政治家である政府首脳が、第三者機関(WHOやIAEAなど)に依頼し、サンプリングから測定、報告までを任せることが必要でしょう。

一検体三万円という分析費用で、統計的に意味のあるサンプリング数を測定するには多額の費用を要します。 それを、被災した自治体に負担させることも、問題があると思います。

『東日本の全ての野菜は危険だ』というのは、確かに風評です。
しかし、『安全だ』と連呼するマスメディアの主張も、科学的根拠が無い風評なのです。
グレーな部分がある以上、消費者が敬遠するのも、無理のないことだと思います。

こういう虚しい議論を辞めさせる為にも、是非グレーな部分を払拭して欲しいものです。

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