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  • 2015.01.02 Friday
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日本人

 
私は、放送大学に入っている訳では無いのだが、何故か放送大学の講義をよく観る。

その中で、好きな先生というのが何人かいる。

そのうちの一人は、芸術論や芸術史の先生である青山先生だ。

正式に履修している訳では無いのでテキストは持っていないのだが、恐らくこの先生の理論的な話は全てテキストにあり、講義ではその芸術の素晴らしさや歴史的背景、意味や意義の先生独自の解釈が中心となっている。

だから、講義を観る分には面白いのだろうけど、恐らく試験は難しいのではないかと思う。

放送大学の先生の中には、映像はいろいろ見せてはくれるのだが、テキストを永遠と読み続けるような講義をする方々も大勢いて、そういう先生の場合は自分の興味のある分野以外は面白いとは思わない。

しかし、芸術などちんぷんかんぷんな私でも、この青山先生の講義は面白いと思う。

本日放映された芸術史と芸術理論という講義では、現代の死の芸術というものがテーマになっていた。(夏休み中の集中講義の一環であるが・・・)

そこでは、主にアンディ・ウォーホルの作品を中心に説明がされていた。

ポップなイメージの作品の中にも、常に死を意識しているというものであった。

代表作であるキャンベル缶スープの作品については、私には「死のイメージ」というものを理解することは分からなかったが、それ以外の作品、そして説明を聞くと、確かに死のイメージが強い。

その中に自動車事故の作品があり、その説明では・・・

戦争や伝染病などの死の予感を伴うものから、「ある日普通に暮らしている健康な人が突然死ぬ」という現象が、20世紀の文明の中に始まり、それまでは無いことであり、非常に衝撃的なことだった。

また、世界大戦の様な大きな戦争を含め、19〜20世紀、そして現在の21世紀においても、現代社会には常に死が偏在しており、芸術家もテーマとして死を取り上げざるを得なかった。

という感じであった。

アンディ・ウォーホルは、アメリカの芸術家であり、確かにアメリカにおいてはそういう側面もあったのかもしれない。

一方、日本はどうであったのであろうか。

近いところでは、東日本大震災、阪神淡路大震災、新潟方面での度重なる大震災を始めとして、土砂崩れや川の氾濫などなど・・・日本では天災にこと欠かない。

特に大きな地震では、何の予兆も無く、普通に生活していた村や街が突然に地獄になる。
大勢の人々の人生が奪われる。
大勢の人々の人間関係が絶たれる。

いや、別に日本に限ったことでは無く、古代ヨーロッパのポンベイの様に、突然街が消えてしまう様な場所も多いだろう。

日本を始めとするそういう天災の多い国と、少ない国では、違った文化や考え方、精神というものになるに違いない。

どちらが良いとか悪いとか言うものでも無いし、人間の手でなんとかなるものでも無い。

その違いの根源が天災ばかりでは無い・・・

例えば、日本人の場合は、食事に出されたものは全て食べなければ失礼にあたり、仮に残されたとしたら、料理が不味かったのかと思われる。

ところが、中国やアメリカ、オセアニア地方では、全て食べてしまうと、料理が少なかったのかと思われる。

以前ニュージーランドに出張に行った時、料理を頼むと山のように出てきた。
「さすが、欧米人は身体が大きいから、一食の量も多いのだろう」と思い、必死になって全部完食したところ・・・
一緒に食べていたオーストラリアの人たちがから拍手されてしまった。
周りを見ると、皆残しているのだ・・・
しかも、メインディッシュを残した上で、デザートにケーキをスプーンで、豪快に食べている。
当然、私はデザートなど入る余地は無く、唖然として見ていたのであるが・・・

つまり、中国や欧米人にとって、食事は残すのが当たり前なのだ。

また、古代ローマでは別の風習があった様だ。
つまり、食べるという快楽を追い求める為に、食べては吐き、食べては吐きを繰り返すのだ。

いずれにしても、日本とは違い、飽食の文化であることは確かだ。

今でこそ日本も飽食の時代と言われているが、食べ残さず完食するという文化は残っていると思う。

日本は稲作文化だが、それは天候に左右され、常に食糧不足に陥っていた。
東北では、田畑がイナゴに荒らされ、食べ物が無くなってしまった為、そのイナゴを佃煮にして食べるという文化すらある。
また上杉鷹山の藩政改革では、倹約する為に、藩士ですら餓死寸前に陥ってしまった為、藩士宅では鯉を繁殖させ、鯉を濃い味で煮込むという料理もある。
(1000兆円も借金のある日本では、上杉鷹山の改革こそ見習うべきだと思うのだが・・・)

言ってみれば、日本は飢餓文化だと言っていい。

この飢餓性は、文化だけに留まらず、遺伝子にも組み込まれている。

一つには、日本人の腸は長く、身長が小さく、筋肉量が少なく、器用である。
これは、腸が栄養を吸収する場所であることから、食べた食品からなるべく多くの栄養をとる為の遺伝的構造である。
(日本人の腸が長いというのは根拠が無いと言われていますが、少なくとも内視鏡検査などの経験からかなり長いと傍証されていて、欧米人と違いは無いという方が全く根拠が無いことから、今のところ日本人の腸は長いと言っても良いと思います)
また、少ない栄養で生きていける様に、身体も小さく、少ない筋肉でも仕事が出来るように器用にできている。

更に一つは、日本人は太りやすい。
これは、食べた糖質や脂質を、脂肪として蓄える能力が高い体質の人たちが、いざ飢饉の時、そうで無い体質の人たちが餓死したにも関わらず、生き残っていったという自然淘汰システムによる結果である。
つまり、日本人には飢餓遺伝子と呼んでもいい遺伝子が強い人が多いのだ。
(古代の公家、つまり貴族出身の人たちには少ないかもしれない)

この飢餓遺伝子システムは、上の「日本人の腸は長い」の注釈も含めて、そういう状況、つまり飢餓状況になった時、発動し易いという特性だろうと思う。
同じ食べ物を食べていても、人によって違うし、同じ人でも、年齢やダイエットの前後などで異なってくることから、飢餓遺伝子は常に発現しているのでは無く、そういう飢餓状態になると発動し、腸が長くなったり、栄養の吸収や栄養の蓄積能力が高まると考えた方が良いと思う。
いわゆる、ダイエット後のリバウンドも、これによって説明できる。

つまり、日本人に太っている人が多いのは、自己管理が出来て居ないという西洋感覚のものでは無く、飢餓世界に強いという日本人特有の体質なのだ。

欧米は今でも飽食の時代、そして今の日本も飽食の時代であるが、世界的に見れば飢餓の時代である。
グローバル化が進めば、世界の飢餓もグローバル化する。
それは、誰かが進めるというものでは無く、交通や通信文明の発展によって進まされてしまうものなのだ。
グローバル化とは、世界進出の機会という一面もあるが、本質的には世界平均化の流れという性格が強い。(エントロピーの法則)

それは、今の先進諸国から見れば、経済破綻であり、食糧破綻という災厄に見えるかもしれないが、飢餓世界の人たちから見れば、ようやく人間らしい生活ができる環境とも言えるかもしれない。

いずれにしても、そういう状況になった時、日本古来の文化や日本人の遺伝子は、グローバル化を生き抜く武器となるだろう。



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  • 2015.01.02 Friday
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  • 13:54
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コメント
お久しぶりです。って覚えてないかもですが。

明け方にふとコルムを思い出して、徘徊してたところ、まだ更新されてるのを発見しました。

飢餓に強くても、太りやすい体質は困ったものです…
  • Med(村放置系プリ
  • 2013/08/27 6:19 AM
をを・・お久しぶり〜
\(^O^)/
もうゲームネタは書いて無いけど、ゲームをして無い訳では無い・・・という程度に、暇なときやってます。
(#^.^#)

私はコルムが終わったのを知ったのが、つい最近で、リンクしてあるページをいくつか俳諧して、足跡を付けてきました。

太りやすい日本人の体質ですが、きっと子供や孫、子孫には感謝されると思いますよ。

ただ、肥満+放射能で動脈硬化リスク倍増となるので、やはり適度な感じがいいですけどね〜。
  • あたる
  • 2013/08/28 6:47 PM
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