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  • 2015.01.02 Friday
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破滅の足音が聞こえる


この日本という国に、いよいよ破滅の足音が聞こえる様になってきた。

以前にも書いたが、日本の一般会計の歳入は約35兆円、歳出は約100兆円、国債が約1000兆円。
つまり、収入が35兆円、支出が100兆円、借金が1000兆円なのだ。

日本が保有する米国債は約100兆円、仮にそれを売り払えるとしても、借金の1/10しか返せない。
仮に特別会計に埋蔵金と呼ばれるものが数百兆円あったとしても、借金の半分も返せない。
また、特別会計の歳入は一般会計を超えるとして、倍の70兆円だったと仮定しても、年間5兆円しか返済できず、返済期間は200年となる。
しかも、その特別会計には毎年の国債償還引当金が10兆円程度含まれているので、それすら怪しいものだ。
残りの特別会計も全てが無駄金という訳でも無く、全額一般会計に編入できるというものでも無い。

仮に特別会計から15兆円を一般会計に編入できると仮定してみる。

すると、収入が50兆円、支出が100兆円、借金が1000兆円ということになる。

もし個人であれば・・・
月給が手取り50万円(部長クラス?)
毎月の支出が100万円(かなりの浪費家)
借金が1000万円(借金を返済する為に借金する地獄)
だとしよう。
さて、この人にお金を貸す人は居るだろうか?

もし企業であれば・・・
売上高が50億円(一般的な中小企業)
支出が100億円。
社債や借入金併せて1000億円。
だとしよう。
さて、この企業にお金を貸す銀行があるだろうか?
まぁ、将来的に売上が伸びて利益が出る見込みがあれば貸すかもしれない。
しかし、売上が伸びず、支出を削減して利益が出る見込みなら貸さないだろう。
しかも、一過的な赤字では無く、数十年連続の大幅赤字なのだ。
通常、中小企業に対する銀行のスタンスは、三期連続赤字ならば、融資を継続しないのでは無いだろうか。

日本はそういう状況なのだ。
にも関わらず、日本の国債格付けがAランクにあるのは何故か?

それは、格付けをしている会社が、米国企業だからに他ならない。

国債に限らず、金融商品というものは、米国企業が奇怪な計算で格付けしている虚構の価値なのだ。

つまり、米国の信用の元に成り立っている市場であり、日本の財政は米国頼みの財政なのだ。

米国が日本を放棄したらどうなるか?
日本経済の破綻、食糧飢餓など、日本民族存亡に関わることとなるだろう。

だから日本は米国に逆らえない。

では、米国の言いなりになっていれば良いのか?
果たして、米国はいつまで超大国なのか?

米国は、第二次世界大戦までは勝利してきた。
しかし、その後は敗戦続きなのだ。

戦争は、闘いに勝てば勝利という訳では無い。
戦争には莫大なお金がかかるので、正義の為に戦争を行う国など皆無と言っていい。
戦争における闘いは投資であって、投資額を上回る利益が無ければ意味が無い。

日本は著しい経済成長を遂げ、米国にとって戦略的にも、経済的にも投資を上回る利益を得ただろう。
一方東アジアはどうか?
中国においては、満州国は開放され、それ以外の地域も国民党が優位であった。
朝鮮半島も解放され、渾沌としていた。

もし、中国において国民党が国を納め、資本主義陣営に加わったなら、朝鮮半島は全て現在の韓国の様な資本主義陣営となっていただろう。
ちなみに、民主主義と共産主義は相反するものでは無い。
また、自由の定義にもよるが、自由主義と共産主義も相反するものでは無い。
実際、自由主義と言われる欧米や日本においても、完全な自由を個人が有している訳では無い。

しかし、資本主義と共産主義は完全に相反する思想なのだ。
欧米諸国は、資本主義をベースとした市場主義で利益を得ている。
以前にも書いた様に、欧米の経済は「奴隷経済」、「植民地経済」がベースとなっている。
つまり、無料または超低価格の労働を利用しなければ、欧米の経済が成り立たないのである。
しかし、人道上奴隷制度は廃止され、植民地も解放されている。

その奴隷や植民地の替わりに利用されたのが、発展途上国(つまり後進国)で、そこで生産を行うことで超低価格な労働力を得る方法なのだ。
更に、市場経済を導入させることで、その国の経済をコントロールする戦略である。

このどちらも共産主義には相容れないものであり、投資利益を禁じているイスラム思想も後者は受け入れられない。

つまり、欧米の奴隷利用型経済は、共産主義やイスラム思想には入り込めないのである。

従って、米国の戦争は、市場主義のベースとなる資本主義を導入させ、後進国を奴隷型経済に巻き込み、欧米の経済的利益を得ることを目的としている。

しかし実際は、世界の20%の人口を誇る中国は国民党では無く共産党によって支配され、朝鮮半島も半分は共産主義となってしまった。
現在の中国と北朝鮮が資本主義陣営に加わった場合と比較すれば、米国の敗戦は明かだろう。
これはマッカーサーの失敗だった可能性が高い。

また、その後のベトナム戦争では闘いでも負け、共産主義国家となり、中東のイスラム思想圏でのアフガニスタンもイラクも不安定なままであり、とても利益を得られる状況では無い。

つまり、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争の投資は全て失敗に終わっている。
日本が頼みの綱としている米国が、現時点で破綻寸前とすれば、当然日本は先んじて破綻することは明白である。

付け加えておくと、中国は市場開放を行った。
しかし、解放したのは株式市場や一般の金融市場のみで、中国元は為替市場に開放しなかった。
為替市場とその他の市場が、その国の経済をコントロールする上で、車の両輪であることは日本を見れば分かるだろう。
中国は日本の状況を研究し、中国元の為替市場の開放をせずに市場開放を行った。
欧米諸国に好き勝手に利用させない様にした上で、市場経済で潤うという大変な成功を収めたと言っていい。
そして、世界人口の20%を占める中国が、後進国から先進国に仲間入りすることにより、欧米の経済が危機に陥っていることは以前書いた通りである。

そして、日本の破滅への足音が聞こえてくるのである。

 
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極黒の読売


私はこれまで、読売グループの会長であるW氏が米国の手先であり、主要なマスメディア、つまり新聞、ラジオ、テレビを系列化し、記者クラブという組織で管理し、日本のジャーナリズムを思想統制の道具としてきた旨を書いてきた。

私は、それ故、読売グループが1円でも儲かることをしたくなく、読売新聞、報知新聞を購読しないことは勿論のこと、日テレ(読売テレビグループ)にチャンネルを合わせることも無く、ジブリの映画も観なくなった。
読売グループが少しでも関与しているものは、絶対に購買をしない。
従って、プロ野球やプロサッカーなどのプロスポーツにも興味を持つことは無い。

しかし、読売グループが米国の手先である直接的証拠を知ってしまった。
いや・・・あまりに明かすぎて、今まで知らなかったのが恥ずかしいくらいなのだが、それだけ巧妙に隠蔽されていたのだろう。

放送大学のラジオ番組をながら聴きしてた時のことであるが、それはテレビメディアについて講義されていた。

それは、先代の会長、正力松太郎の時代に遡る。
読売グループの日本テレビは、米国の学者ムントによって主張された戦略兵器としてのテレビをベースとした、米国CIAの陰謀によって正力松太郎が設立したテレビ局だったのだ。

つまり、そもそも日本テレビは米国の手先として設立されたのだ。

ムントによれば、テレビは核兵器を超える戦略兵器となるとのことであった。

その後、インターネットで「ムント」や「日本テレビ CIA」などで検索をかけてみると、それらの情報が見つかった。
詳しくは皆さん自身で検索していただきたい。
恐らくそこに出てくるのは、有馬哲夫や柴田秀俊による図書を引用されたものが見つかると思う。

彼らをどれだけ信用できるかは私も不明であるが、とにかく彼らの図書は現在取り寄せている最中であるので、到着次第読もうと思っている。
それ以前に、放送大学の講義で概略が説明されていたということは、ある程度信頼して良いのだと思う。

これらの陰謀に対し反発していたのは、意外にも当時の政治家たち、吉田茂や佐藤栄作たちだったのだ。

ムント戦略は、まず米国テレビ番組などが日テレに無償または超低価格で提供されることから始まった。
また、クイズ番組やお笑い番組などのバラエティが、思想統制の手段として放映された。
現在ではニュース番組、ワイドショウなど、ほぼ全ての番組まで汚染されていると言えるだろう。

意外にも当時のNHKは、米国に対して反抗的な思想を持っていたらしく、開発実験段階での通信方式も異なっていたらしいが、結局米国と同じ日テレの通信方式が採用されてしまった。

お笑い番組+お色気番組、そして視聴者参加型のクイズ番組、プロスポーツ観戦番組に私たちは熱狂し、一億総白雉化時代を迎えることになる。
そして現在、自分で思考、判断せずに、テレビを神のごとく信じる日本人が出来上がり、まさに日本人が白雉化したのだ。

当時の吉田や佐藤らは、苦々しく思いながらも、表だって米国に反発することが出来なかったのであろう。
そこで当時反米的であったNHKと協力し、NHK教育テレビが作られ、また民放でもNET(東京教育テレビ)が発足された。
何故、「教育テレビ」だったのか・・・それは米国情報統制による「一億総白雉化」に対抗する為である。

しかし、その後は米国によるマスメディア支配も、読売グループの協力のもと、新聞−ラジオ−テレビの系列化、統合化が進み、記者クラブで情報統制する体制が出来上がったことは既に述べてきた。
NETはテレビ朝日となり、教育テレビ的要素は無くなり、米国に取り込まれていった。

事の経緯からNHKと日テレは犬猿の仲であったが、それも数年前、NHKの解説委員長が交代した頃、NHKも米国の情報統制に取り込まれたと思われる。
それまで解説委員の討論会による番組は、かなり骨のある番組で、私もよく視聴していた。
中には経済関係の馬鹿な解説委員もいたが、当時の解説委員長の一言で沈黙し、その解説委員の馬鹿さ加減が浮き彫りになっていた。
しかし、解説委員長の交代により、現在ではその番組も、民放のワイドショウ並に価値のない番組となってしまった。
その後、NHKと日テレが合同でイベントをやったりし、日本のマスメディアにおけるジャーナリズムの敗北を象徴した。

ちなみに、CIAの手先となって日本人の白雉化を推し進めた正力松太郎は、当時の原子力発電の推進委員長も務めており、そのことからも日本の原子力発電がいかに汚染された政策の結果であったことが分かる。
 

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金権政治


金権政治というより、金力政治と言い換えた方が良いのかもしれない。

政治において、何故金力が強いのか?

それは、「選挙にはお金がかかる」、「政治にはお金がかかる」と言った作られた常識によるものだ。

しかし、それはほとんど嘘である。

例えば、選挙運動を「政見放送」と「選挙公報」のみに限定し、立候補時の供託金を無くせば、選挙管理本部での経費を除けば、立候補者にお金はかからない。

また、大臣の権力が本当に事務方(官僚)より強く、筋目の通った行政が行われ、議員間、議員への金銭授受が1円単位で禁止されていれば、政治にもお金がかからないであろう。
ご存知の通り、大臣と事務次官が喧嘩すれば、大臣が負けることは既に証明されている。

しかし、今回はそれを追求するのでは無く、金力がどの様に政治を支配しているかを考えてみたい。

原理は簡単で、「お金は政治家を縛る」という一言に尽きる。
つまり、お金を受け取れば、お金を渡した人達からの支配を受けることになる。


「選挙にはお金がかかる」を前提として考えてみる。

何党であろうが、選挙にはお金がかかり、しかもそれは殆どの議員の資産や献金を使い果たすほど大きい。
殆どの立候補者にとって、落選、当選に関わらず、選挙後はスッカラカンらしい。
めでたく当選すれば、つまり議員になれば、それは議会において貴重な一票となるので、政党の有力者や様々な団体から更に献金を受けられるだろう。

落選した場合は悲惨である。
まず、公職選挙法違反による捜査が入る。
ご存知の様に、当選した立候補者には捜査が及ばない。
では、落選した候補者のみが違反をしているのか? 否である。
この捜査により、側近が逮捕されたり、後援会長が逮捕されたり、場合によっては候補者自身が逮捕され、多くの候補者にとって、ほぼ致命傷になる。
つまり、捜査が入らない様にする為には、金力が必要なのだ。
この段階でほとんどの落選した候補者の資産はゼロまたはマイナス(借金)となる。
「落選すれば、ただの人」という言葉があるが、ただの人よりも悲惨であろう。
しかし、もし次回以降に当選する可能性のある立候補者に対しては救いの手(悪魔の手)が入る。
東京電力などの有力な官僚の天下り先企業、もしくはその上位機関である独立行政法人には、自由競争入札では無い受注や、様々な交付金、独占利権などにより、大量の資金が有る。
その資金の一部は、寄付金として大学などに寄付され、その大学内に寄付金による講座や研究室のポストの作成に使われたり、様々な団体の理事職ポストの作成に使われる。
有望な落選候補者は、救いの手(悪魔の手)によって、それらのポストに就き、政治活動が出来る程度の給料を得ることができる。
救いの手(悪魔の手)によって救われた政治家は、与党であれ、野党であれ、当選した暁には、悪魔の手先とならざるを得ない。
裏切れば、あらゆる資金提供が停止するばかりか、お金の罠にかかって失脚する。


次に、「政治にはお金がかかる」を前提として考えてみたいが、長くなったし、ほとんどの人が知っていると思うので、「政治権力を得るにも、法案を通すにもお金がかかる」と結論だけとする。

ただ、政治権力を持ち続けるには、常に大量のお金を必要とし、その為に多くのお金の供給源を必要とすることだけは重要である。
何故重要なのかといえば、「お金の供給源には罠が仕掛けられている」ということである。

つまり、派閥の領袖などの政治権力を持つ人達は、その権力の源である金力を支える「お金の供給源」には、罠が仕掛けられている。
それは公になれば、失脚したり、逮捕されると言った汚職事件に発展するものだ。
そして、その罠は、異質の2党を除き、自民党を始めとする全ての政党の有力者に仕掛けられている。

その罠は、日本政治を牛耳っているもの、つまり「米国を中心とする勢力」に反発した場合に発動する。

日中国交正常化し、日本の独立国家を目指した田中角栄。
田中派の血統を持つ竹下、金丸。
日本独自の防衛大綱を作ろうとした細川護煕。
ロシア関係を改善しようとした鈴木宗男。
ロシアとパイプを持つ鳩山、田中派であり中国とパイプを持っていると思われる小沢。

皆、「お金の罠」にはまったり、マスコミ(記者クラブ系メディア)が総動員されて潰された被害者である。
ご存知の様に、国際興行にしろ、リクルート社にしろ、クライスラー社にしろ、この罠に協力した企業は、その代表者は失脚したものの、企業自体は全く被害を受けていない。
また、失脚した代表者達も、表面上失脚していても、余生は充実したものとなっていただろう。

金力政治の本当の怖さは、ここに有ると言って良い。
何せ、日本という国家自体がお金によって支配されているのであるから。

しかも、「その勢力」にとっては、支出よりも利益の方が遙かに大きい。
何故なら、支出は各政治家、団体に行われるが、利益は日本国民全体から得られるのだから。
 
つまり、選挙や政治にお金がかからなくなるシステムは、既に準備されているとしても、日本を支配している勢力にとっては、「選挙にはお金がかかる」、「政治にはお金がかかる」というのは重要なアイテムであり、手放すことは無いだろう。
現体制が続く限り、その状況が変わることは無いだろう。

ただし、世界中ほとんどの国家において、その権力の中枢が腐敗することを免れてはいない。
権力と腐敗は、セットで存在すると言ってもいいくらいである。
それは、人間が不完全である以上、仕方のないことなのかもしれない。

日本の独立国家が偽りであったとしても、日本人は一定レベルの自尊心を持つことができる。
日本の経済が偽りであったとしても、ほとんどの日本人はその恩恵を受け、貧困ではあったとしても、少なくとも食糧難と言われている国家よりはマシである。
日本の平和が偽りであったとしても、実際に70年近く平和と思える時代が続いている。

しかし、必ずしも偽りが悪では無いとしても、真の独立国家、真の経済、真の平和を目指すことを怠ってはならないと思う。
何故なら、偽りに慣れてしまうことは、破綻を招くからである。

税収約35兆円、支出約100兆円、借金1000兆円以上、仮に特別会計として数百兆円眠っていたとしても、経済破綻がすぐ近くに訪れていることを恐れているのは私だけでは無いだろう。
そして、食糧自給率が30%の国において、経済破綻は食糧難を引き起こし、その惨状を恐れるものも少なく無いのでは無いだろうか。
衣食住という言葉があるが、着る物と住む家が無くても生きていけるが、食べ物が無ければ確実に生きていけないのだ。

私たちは、原発の危険性という真実に目を背け続け、その結果人類史上最大の人災を引き起こしてしまった。
真実に目を背けるだけでは破滅することを思い知らされたのではないだろうか。
 

日本が好きか?


日本人として、「日本が好きか?」と聞かれたとすると、なんとも答えようが無い。

そこで、各部分に分けて考えてみる。

1.日本国が好きか?
  嫌い

2.日本文化が好きか?
  割と好き

3.日本人が好きか?
  概ね、好き

スポーツの世界大会などで、日本が活躍すると、なんとなく嬉しくなるのは、「自分も日本人の一人として」だと思う。
それは、決して「日本国が好き」という国家主義と同じでは無い。

 

アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」を観て・・・


以前、話題になっていたアニメですが、その時は視聴せず、最近「涼宮ハルヒが帰ってくる」というニュースタイトルを観たので、視聴してみました。

まず、最初に放映された際には、ストーリー時系列順には放送されなかった様です。
つまり、何の前振りも無く、当然の様に新たな登場人物が出演していたりします。

このアニメには、異星人(異次元人?)、未来人、超能力者が出てくるのですが、それと時系列順に放送されていないこととが呼応している様です。

第2期では、基本的に同じアニメがストーリー時系列順だったのですが、新たに加わったものもありました。

特に衝撃だったのが、「エンドレスエイト」の1〜8です。
これは、高校生活最初の夏休み後半の話ですが、このテーマが「既視感」いわゆるデジャビューというものです。
この話は、8月17日から31日までの同じ時間を何度も繰り返し、8月31日24時になると、記憶を含めた全てがリセットされ、8月17日に戻ります。
しかし、涼宮ハルヒに近い人間には、僅かに記憶の残骸が残り、それが「既視感」となって現れます。
誰にでも起きる「既視感」に対する一つの仮説と言っても良いでしょう。

1〜8は、同じ内容なのですが、同じ内容とは言っても、当てレコはその都度毎回行われ、映像やシチュエーションも毎回新たに作られたものでした。
つまり、単なる手抜きとは大きく違うのです。
それは真剣勝負なのだと私は感じました。

「同じ内容の話を8回に渡って繰り返しても良いのか」
「ストーリー展開を楽しみにしていた人達への挑戦」
という、プロデューサー、ディレクターなどの人達の真剣勝負であり

「同じ会話を何度も繰り返し、微妙な変化と全く同じ部分を使い分ける」
という、声優、編集などの人達の真剣勝負であり

「全く同じでは無いとしても、30分の同じストーリーを8回観る」
という、私たち視聴者の真剣勝負でもあります。
若い人たちにとっては、「今回は何処が違うのか」という探求心と共に、観きる体力があるのだと思います。
しかし、私の様な年齢では、6回目くらいでかなり厳しい状況でした。

ある意味、その辛さは長門ユキが感じていた辛さの片鱗を味わうことでもあったのです。
この長門ユキには、8月31日のリセットでも記憶がリセットされず、その全ての記憶を持ち越していたのです。
そして、設定では、この繰り返しは約1万5千回繰り返していたのです。
まさにその回数を数え、相違点、類似点を含め、全てを記憶した上で、同じストーリーを繰り返していたのが長門ユキだったのです。

同じストーリーの繰り返しを8回に渡って視聴しなければ、長門ユキの辛さを想像することすら出来なかったと思います。

まさに、奇才達による名作アニメでは無いでしょうか。

 
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ドラマなど・・・


腰痛のおかげで、横になっていることが多く、テレビドラマも観る機会が増えています。

マインドコントロールの手段としてテレビが利用されているので、ほとんどテレビは観ないのですが、囲碁将棋の類や、ドラマ、放送大学などは観ます。
ドラマもマインドコントロールの手段として利用されているのですが、見終わった後に、「このドラマは、どんな意識を植え付けようとしているんだろう?」と考えることで、視点をニュートラルに戻しています。

マインドコントロールの最も悪質な媒体としてのテレビニュースも、同様に視点を戻せば良いのですが、目まぐるしく話題が変わることや、愛国心や道徳的価値観などを利用した凶悪な影響を及ぼす為、観ないことにしています。
それに、数十年という長い間、テレビにコントロールされていたテレビ依存症であった為、療養的な意味もこめて観ません。
記者クラブ系情報は、新聞やインターネットから得る様にしていますが、なるべく事実のみを抽出し、説明部分は読み飛ばす様にしています。

あ〜・・・今回はこんなことを書くつもりでは無かったのですが・・・

今季(4〜6月期)でお気に入りのドラマ

MOZU(モズ)
様々な批判も多いドラマです。
喫煙シーン問題などは論外ですが、残酷性や画面の暗さなどの批判が多い様です。
私が観るに、かなり残酷なシーンは工夫され、緩和されていると思うのですが、画面の暗さは私も感じます。
テレビの明るさ設定をしなおさないと、何が起きているかよく分かりません。
しかし、内容的には素晴らしいものだと思います。
このドラマの最大のテーマとも言えるのが、「何にでも意味を持たせたがる人間の思考に対する批判」だと思います。
人間は所詮動物の一種であり、特別な存在とは思わない方が良いと私は思います。

BORDER
人気があるライトテイストな刑事ドラマです。
しかし、なんと言っても小栗旬の演技が素晴らしい。
特殊な能力を持ってしまった以外は、至って普通な人間を演じています。
演劇に詳しくはありませんが、恐らくこの「普通な人間」を演じるのが一番難しいのではないかと思います。
このドラマのもう一つの良い点は、脇役の人達も「普通な人間」なのです。
ある種のドラマによっては、主役を引き立たせる為、異彩を放つ主役に対して、異様に能力の低い脇役という設定が多いと思います。 場合によっては、刑事なのに一般人よりも捜査能力が低かったり、正義感に欠けていたりしています。
そういう不自然さに、もう飽きてしまいました。
このドラマの脇役の刑事などにおいては、「普通の刑事」で、一般人よりは正義感も有り、捜査能力も高く設定されています。
人気の高さが頷けるドラマです。

とても残念なことは、この二つのドラマが同じ時間に放映されていることです。
毎週楽しみにしていても、片方しかオンタイムで観れません。
他の曜日には、いくらでもつまらないドラマがあるのに・・・・

 
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アニメ「進撃の巨人」を観て・・・

JUGEMテーマ:アニメ
このアニメも、優秀なSFであると思います。
詳細は、アニメ、ウィキペディアなどを参考にして下さい。

大変人気のある作品なので、様々な議論は他のサイトで行われていると思います。

私が面白いと思ったのは、前回の記事に書いたアニメ「新世界より」との比較にあります。

様々な設定の違いはありますが、支配する能力の有るもの、それを持たず支配されるもの、それぞれの立場がよく分かると思います。


残念ながら、アニメ「進撃の巨人」は最終回で完結しておらず、中途半端な作品となっていましたが、それでも「闘い」の本質がよく描かれていたと思います。

 

アニメ「新世界より」を観て・・・

JUGEMテーマ:アニメ
2008年に原作が発表され、2012年にアニメがテレビ放映されているので、既にネットでは議論しつくされているとは思いますが、アニメ「新世界より」を観て、まだ原作を読んでいない段階で、感じたことをポツポツ書こうと思います。

このアニメは、最近では秀悦の本格SFであると思います。
詳細は、アニメまたは小説、ウィキペディアなどを参考にして下さい。

まずは世界観ですが、1000年後〜恐らくサイコキネシスを利用した事件が起こった頃から1000年後〜、世界の人口は現在の2%まで減少しており、そのほとんどがサイコキネシスを使うことができます。

1000年の間に、サイコキネシスを使用できる人と出来ない人が混在する時代があり、そこには当然のごとく闘争がありました。

どうも、このサイコキネシスという能力は、遺伝的に継承される様なので、遺伝的変異が必要な様です。

その闘争の後、サイコキネシスを持つ人達は、持たない人達を支配することになるのですが、その能力は地球を壊すほどの力を秘めており、無制限に使用することは、滅亡を導くことになります。

そこで、能力を持つ人達の遺伝子に、その能力によって対人攻撃が出来なくなる「攻撃抑制」、「愧死機構(きしきこう)」という遺伝子を組み込むことになります。
特に「愧死機構」では、人を殺すと自分も死ぬというもので、強力なシステムです。

そこで問題になるのが、「能力を持たない人達をどうするか」ということになります。

その段階で、能力を持つ者に支配されている能力を持たない者達は、これらの抑制機構を組み込まないことになった様です。
しかし、その結果、能力を持たない人達は、様々な方法で人を殺すことができ、抑制機構を組み込まれた能力を持つ人達は、いかなる方法によっても相手を殺せないという状況になり、権力構造が逆転してしまいます。

そこで、その時点で支配層であった能力を持つ人達は、能力を持たない人達をいつでも殺せる様に、その人達に鼠の遺伝子を組み込み、見た目では人に見えない姿に変えてしまうことにしたそうです。

それにより、それまで以上の格差・・・つまり、人と人では無い者という差別を行うことになります。

もはや、能力を持たない人達は、奴隷以下の存在となります。

この段階で、能力を持たない人達にも、同様な対人攻撃抑制機構を組み込み、人間の姿のままにするとしたら、これらの能力は、一つの付加能力にすぎないことになります。
多少、平和な状態となるのかもしれませんが、長く支配層にあった能力を持つ人達には、その選択肢は無かったのかもしれません。

また、人為的に組み込まれたこれらの抑制機構は、遺伝的に非常に脆弱な因子であり、比較的高い確率でそれらの抑制機構が働かない子供が生まれてしまう様です。

抑制機構が発現しない能力を持つ者は、抑制機構が発現した者達を一方的に殺戮することが可能となり、大変な驚異となります。

その為、それまで人権が発生するのを生後(受精後?)22週としていたのを、15歳くらいまで引き上げることとなります。
つまり、その年齢までは人権が無く、行政の判断で殺しても良いということになります。
そして、その年齢までに、抑制機構が発現しない者、能力を制御出来ない者を抹殺するということで、危機を回避しています。

そして、事件が起こるのですが・・・

このアニメを観て、大きく感じたのは、残った人達はサイコキネシスという能力を持ちましたが、それは科学技術と同様に、道具として持ったにすぎないということです。

つまり、いかなる能力を持ったとしても、精神的な成長や進化は、現在の人達と変わらないということです。

精神的な進歩の無い人類には、能力を持てば持つほど、核エネルギーなどの技術を発展させればさせるほど、人類生存の機会は減少するということでしょうか。

アニメの最後には、「想像力」の重要性を訴えていましたが、それを含めた精神的な進歩が重要なのでしょう。

日本を含めた近代国家の人達は、逆に退化していると思うこともあり、三歳児が機関銃を持って歩いている様な危険性を感じてしまいます。

 
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久しぶりの投稿


昨年9月に腰椎に僅かな炎症が起き、一ヶ月ほど腰痛で、長時間椅子に座ることが出来なかった。
その腰痛は治ったのであるが、今年の3月末頃より、再度腰痛になった。
これは、最初の腰痛が治った後、軽い腰痛が無いことは無かったのであるが、すぐに痛みが消えた為、多少気の緩みがあったのかもしれない。
3月に起きた腰痛の痛みは、消えずに強くなっていった。
そして、昨年9月に起きた腰痛ほどでは無いものの、それに近いところまでなったので、治療をすることにした。

今回の腰痛は、痛みを放置したことにより、座骨神経痛になった様だ。
確かに、痛み方は昨年9月とは多少異なっている。

痛みは長期に渡り、2ヶ月経った現在でも、多少残っており、治療も続けている。

炎症は、痛みの原因の排除、および自分の免疫系の正常化によって解消され、消える時は劇的に痛みが無くなっていった。
しかし、神経痛は身体の本来の性質である為、治療には長期を要している様だ。

さて、神経痛とは何か?

それは、神経細胞における原始的記憶だと考えている。

脳などの神経細胞群における高次の記憶には、神経細胞の形態変化を伴う細胞間の結合の結果では無いかと思う。
しかし、その高次記憶の達成にも、原始的記憶様式が関わっているのでは無いだろうか。

それでは、神経痛の原因である、神経細胞の原始的記憶とはどんなものか?

私の断片的知識と治療法からの考察から推論してみたいと思う。

神経細胞が刺激を伝える時、神経伝達物質が生合成され、分泌される。
その刺激を伝えるべき次の神経細胞には、その神経伝達物質と結合できる二種類の受容体タンパク質が、細胞膜上に存在していることが知られている。
そのうち一種類目は、神経伝達物質の結合により、細胞内と細胞外の細胞膜を挟んだナトリウムとカリウムのイオン輸送を開始し、そこに生じた電位差により神経細胞の末端まで刺激を高速に伝える。
この神経伝達のシステムだけでは、神経細胞における記憶は生じない。

神経細胞に記憶を生じさせるには、二種類目の受容体の働きが重要となってくる。
この二種類目の受容体は、神経伝達物質が結合しただけでは、活性化されず、イオン輸送が起こらないことが知られている。

脳の海馬の神経を用いた実験により、次の様なことが明かになっている。
「頻度の高い刺激(連続した刺激)を与えると、神経細胞から分泌される神経伝達物質が多量に放出されること。」

ここからの応答には、いくつかの説があるらしいが、それらから勝手に推論すると・・・

多量に放出された神経伝達物質は、その段階での受け取り側の神経細胞にある受容体では処理能力を超えてしまう。
つまり、即時応答するには、受容体の数が足りない、感度が足りないということだろうか。
すると、その神経細胞間に溢れた神経伝達物質は、その周囲にあるグリア細胞と呼ばれる神経細胞周辺の細胞に到達する。
そのグリア細胞にも、神経伝達物質と結合する受容体が存在し、その結合によりグリア細胞内にカルシウムイオンが流入する。
そのカルシウムイオンに誘発された酵素活性により、最終的にはD−セリンというアミノ酸が放出される。
通常、タンパクなどの構成成分としてのアミノ酸はL体であるので、このD体のアミノ酸は特異な物質となるのであろう。

さて、二種類目の受容体に、神経伝達物質とこのD−セリンが結合すると、二種類目の受容体は活性化し、イオン輸送を始める。
ただ、この受容体におけるイオン輸送は、ナトリウムやカリウムイオンの相互輸送だけで無く、カルシウムイオンの神経細胞内への流入も行うことが知られている。

神経細胞内に流入したカルシウムイオンは、様々な酵素を活性化させ、一つには神経伝達物質受容体の感度を高め、また神経伝達物質受容体の生合成を促進し、神経細胞膜における神経伝達物質受容体の数を増やすと言われている。

ところで、神経伝達物質自体は、受容体との結合の後、速やかに分解され、神経細胞間での神経伝達物質は消失する。

ところが、神経伝達物質の受容体は、細胞膜におけるタンパク質であるので、自然に新陳代謝されるまで、ある程度の時間、その感度の上昇や、その数が維持されることとなる。

また、神経伝達物質を放出する側の神経細胞においても、その神経伝達物質が生合成され易くなっており、多量に神経伝達物質を放出する能力を、ある程度の時間維持していることも予測される。 或いは、既に相当量の神経伝達物質を保有し、少しの刺激で多量に分泌される様になっているのかもしれない。

つまり、簡単に言えば、ある刺激を増幅して伝達する体制が神経細胞間で成立し、少しの刺激で過剰に伝わる体制がある程度の時間維持されるのである。

それが、神経細胞における刺激に対する記憶であり、その刺激が痛みであった場合、神経痛としての症状になると思われる。


さて、刺激が伝達される先々の神経細胞では、その刺激が本来の刺激に相当する伝達なのか、受容体の数量不足、感度不足により弱体化された伝達なのか、上流の神経細胞における原始的記憶のよる過剰な伝達なんかを識別することは出来ない。
つまり、下流の神経細胞は、上流の過剰伝達による神経伝達物質によって、更に原始的記憶をすることが予想される。

つまり、ある刺激が次々と増幅に増幅が重ねられ、最終的に強烈な刺激の伝達が脳に伝わることと思われる。

その結果、「痛い」と感じるほどの刺激では無かったとしても、「強烈な痛み」として脳に伝達されるのが神経痛の本質と思われる。

その為、神経痛の治療には、局部麻酔注射や針治療などにより、刺激発生場所における神経ブロックなどが、治療法として用いられている場合が多い。
 

言語

 
一般的に生物において伝承の主たるものは、遺伝子による。

遺伝子による伝承は、動物に限らず、植物や微生物、そしてウィルスの様な半生物においても行われる。

更に動物の中でも、脳が分化した動物においては、個体間の情報伝達によっても伝承が行われる。
それは、脳の発達に伴い、高度な伝承が行われていると思われる。

例えば、哺乳動物や鳥類においては、親子間での伝承がある。
それは、食物の入手方法であったり、危害を及ぼすものからの回避方法である場合が多い。

それらは、親子という社会、群れという社会における社会的伝承の一種である。

しかし、それらの情報伝承は、直接的であり、経験的な伝承に限られていると思われる。
例えば、親子という個体間の直接的接触、群れの中の個体間における直接的接触によって伝承される。

そして、伝承される情報は、経験によるものに限られている。
例えば、食物の入手方法であれば、生息地域特有の自然の中での経験によって伝承され、生息地域以外の異なった自然における方法は伝承されない。
勿論、類似した環境であれば、生息地域における伝承情報が生かされるが、情報の伝承という意味においては、経験的伝承に限られる。

また、危険回避の方法においても、親子や群れの社会に起きた経験に限られ、その状況や事態の経験によらない情報は伝承されない。
例えば、ある個体が電車の線路で危険な経験をしたり、また仲間が危険な事態に陥ったことを目撃し、線路が危険だと認知していたとしても、その個体の子供と成育する地域に線路が無ければ、その線路の危険に対する情報を伝承することは無い。


この様な一般的動物の遺伝子的、経験的、直接的な伝承方法に対して、人間という動物においては、言語や文字などによって情報を伝承することが出来る。

人間に進化するどの段階でその様な伝承が可能になったのか、また言語が先か文字(絵や象形文字を含む)が先だったのかは私には分からない。

手に物を持ち、道具を使える様になったことが人間への進化の第一歩だとすれば、絵などの文字の一種が先に使用されたのかもしれない。

恐らく、その当時の文字の一種としての絵は、体系的な文字では無かったと思われるが、間接的かつ非経験的な伝承が不完全ながらも行われていたと思われる。

この様な絵から、象形文字→文字と、文字の体系化が行われる以前に言語が発達したのではないだろうか。
これらの絵が、言語の発達に寄与したのかもしれない。
音や発声による情報伝達は、人間に進化する以前から行われていたので、一つの絵を同一の発声に統一されていくという過程を経て、言語が発達したのでは無いだろうか。
それは、物や動物を表す名詞から、行動を表す動詞、更に形容詞や副詞へと発達したものと思われる。
この言語に統一されていくことにより、絵の表す意味が具体化し、情報伝達が高度化することにより、絵の重要性が増していったものと思われる。

これらの言語の発達と同時に、絵という創作物から、実際の動物や行動をイメージするという想像力が発展したことが、架空の事態を想像する現在の思考力に繋がったと思われる。

情報伝達として絵の重要性が増したことにより、絵の体系化、つまり象形文字への発展が起こったのでは無いだろうか。
象形文字への体系化や一般化によって、人間社会の情報量は飛躍的に増大したのだと思われる。

しかし、文字への体系化は、言語よりもかなりゆっくりと行われた様に思う。
恐らく、絵から文字への一般化が発展するには、書くものと書かれるもの、現代で言えばペンと紙の様なものを必要とするし、体系化には社会における高度な意思統一が必要となったと想像される。

実際に古代社会においては、歌や民話の様な言語によって、情報の伝承が行われていた様だ。
また、ラテン文字系の文字では、明らかに言語の記号化という段階を経て文字が作られたと推察できる。

また、仮に文字の体系化が出来たとしても、その初期の媒体は木の板であったり、竹の板であったりした為、その使用は一部階級に限定され、社会の大多数の大衆には使用できるものでは無かった。

中国において紙という媒体が発明されたことにより、初めて大衆にも使用可能となったのだが、大衆に文字分化が拡がるには大きな問題があった。

それは、一部階級と一般大衆との格差である。
つまり、一部階級において、高度に体系化された文字は、絵や象形文字と言語を結びつける様な比較的簡単なイメージでは無くなってしまっていたのである。
その為、教育という特別な文化を経なければ、文字を使用することが出来なかったことになる。

その点においては、ラテン文字系の文字は言語を30前後の記号化したものであった為、比較的容易に文字の大衆化が可能となったと思われる。

一方、漢字圏の文字が大衆化したのは、人類の歴史からすると、ごく最近であった。

知識や知恵というものは、社会の情報伝達の大きさが重要なポイントになる。
つまり、漢字圏の文化が一部の階級の中の更にごく一部の天才によって作られた為、大衆の総力としての西洋文明に対し劣勢に立たされた。


言語の発達は、経験によらない伝承が可能となるが、それはあくまで複数の個体間の接触を必要とし、その伝承内容の正確さも損なわれる。

一方、文字の発達は、その文字体系に変化が無ければ、理論的には何千年も前の情報も伝承することが出来る。
また、同じ文字体系であれば、何千キロ離れた場所の情報も得ることが出来る。

つまり、言語と文字を獲得したことにより、時代方向(縦方向)にも、距離方向(横方向)にも、情報の伝承が可能となり、またそれに伴った想像力の発達により、高度な思考をすることが可能となった。


この言語と文字、そしてそれに伴う想像力こそ、知識や知恵というアイテムを高度化し、人間の人間たる立場を可能としたのである。



しかし、今なお問題は有る。

例えば、縦の情報伝達として、古代の文書を読もうとすれば、解読という特別な技術が無ければ情報を得ることは出来ない。

そして、横の情報伝達としては、世界には多種多様な言語と文字が存在し、翻訳という技術が無ければ情報を得ることが出来ない。

その解決策としては・・・
古い文書は、逐次現代の言語や文字体系に解読し続けることが必要であろう。
古代の文字体系の多様さを考えると、常識的に持ちうる能力、つまり誰でもが身につけられる能力の限界を超えているからである。

横の情報伝達を妨げている言語や文字の違いについては、翻訳を逐次行うというのも良いが、世界的なコミュニケーション能力を獲得するという進化的立場においても、やはり世界共通言語を設定し、自国語というアイデンティティを維持しながら、外国語としての世界共通言語を獲得する必要が有る様に思われる。

私は外国語が全く駄目だが、何カ国かの言語を習得している人が多いことから、人間の能力の範囲内だと思われる。


一部の階層の人たちに知識や知恵を依存した漢字文化圏には、自動的に格差が生じ、現代においても封建的思考から脱しきれていない。

一方、ラテン語文化圏では、大衆にパワーがあり、民衆革命によって民主主義を獲得できた。

現在においても、マスコミの一元化に激しい嫌悪感を覚える欧米系の民衆と、選民的官僚主義を受け入れ、マスコミの一元化に全く迎合し、神の如くテレビを信じる日本人では、人間の能力に大きな差が有ると言わざるを得ない。


それほど、人間にとって言語や文字という文化が重要なのである。


私の様に、翻訳された二次情報に頼らざるを得ない状況では、やはり思考に限界を感じる。

これからの日本人には、是非、当面は英語の習得に頑張って貰いたい。



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